航空機の大衆化により
都市間輸送のシェアが低下

 民営化後、東海道新幹線の最高速度は1992年に時速270キロ、2015年に時速285キロに向上。山陽新幹線も1989年に時速230キロ、1997年に時速300キロとなり、今では東京~新大阪間は最短2時間25分、東京~広島間は最短3時間47分。東京~博多間は最短4時間52分まで短縮された。

 だが、長期的に見れば、鉄道の都市間輸送に占めるシェアは低下し続けている。例えば、山陽新幹線が博多開業した1975年、東京~博多間の所要時間は新幹線が6時間56分、寝台特急では約16時間半かかったにもかかわらず、東京~福岡間の鉄道シェアは55.7%だった。だが、高速化で6時間を切った1986年は25.5%、5時間を切った現在は7%程度に低下している。

 1975年から1986年の大幅な減少は国鉄末期の度重なる運賃値上げの影響もあるが、最大の要因は航空機の大衆化だ。1980年代以降の地方空港ジェット化、2000年の運賃自由化で、高速化、増便、運賃引き下げが進み、高嶺の花だった航空機は一気に身近になった。

 運輸省(現国土交通省)の地域旅客流動調査によれば、東京~福岡間の流動量は1975年から2015年にかけて、鉄道が約3分の1になったのに対し、航空機は5.7倍に増加した。中距離の東京~岡山間ですら、鉄道が2.1倍なのに対し、航空機は14.8倍である。特に福岡のように空港が市街地至近に立地する都市では、新幹線が1~2時間短縮したところで太刀打ちできない。

 山陽新幹線建設時に「夜行新幹線」が検討されたことが示すように、1970年代の国鉄は鉄道で全国をあまねくカバーしたいと考えており、1980年代に入ってもその考えを引きずっていた。

 しかし、現実は長距離区間どころか、東京~大阪間などドル箱の中距離区間にも航空機の進出が進んだことで、民営化を前後して新幹線の抜本的な高速化が検討された。民営化5年後の1992年に東京~新大阪間で「のぞみ」が登場し、1993年から山陽新幹線に乗り入れた。

 ところが、航空自由化で羽田空港~伊丹空港間シャトル便の運航が始まり、1990年代に80%台だった鉄道シェアは2000年代初頭に60%台まで低下。対抗策として、2003年のダイヤ改正で「のぞみ」を主体としたダイヤに転換し、「のぞみ」を最大毎時7本設定。その後も順次増発を続け、2020年に「のぞみ」12本ダイヤとなった。

 このように1990年代以降の高速化は、東京~博多間などの長距離利用ではなく、所要時間3時間前後の中距離に特化したものだった。現在の博多行き「のぞみ」は、東京~新大阪や新大阪~博多など、競争力のある区間の乗客が入れ代わり立ち代わり利用する列車であり、かつてとは役割が変わっている。