「ブルートレインや食堂車が懐かしい…」国鉄の歴史を超えたJR「37年の変化」が凄すぎた!Photo:PIXTA

1月29日でJRが発足して37年と10カ月、1万3819日が経過した。これにより1949年6月1日に発足し、1987年3月31日に終焉した日本国有鉄道の歴史、1万3818日を超えることになった。国鉄が駆け抜けた時代は、戦後復興から高度成長、オイルショックを超えてバブル経済の入り口まで、激動の昭和である。これに対して昭和末から平成、令和の37年間は、私たち当事者からすると、さほど変わっていないようにも見えるが、デジタル技術の発達がもたらした社会の変化は、昭和のそれを超えるのかもしれない。そして交通機関の機能や役割もまた、この間に大きく変化したのである。(鉄道ジャーナリスト 枝久保達也)

SNSで飛び交う
国鉄時代を懐かしむ声

 JRが国鉄の歴史を追い抜いたニュースに接し、SNSでは、夜行列車、食堂車、車内販売が華やかだった国鉄時代を懐かしむ声や、民営化によって鉄道の公共性が失われたという指摘が飛び交っている。それぞれ一理ある主張ではあるが、鉄道というサービス(役割と言い換えてもよい)を「国鉄」や「JR」といった枠にはめて理解しようとしても本質を見失う。

 JR体制の37年で、鉄道は外部環境によってどう変化したのか、民営化の4カ月前、1986年11月に行われた国鉄最後のダイヤ改正から現在まで、新幹線、夜行列車などの長距離移動を比較してみよう。

 当時の新幹線は、1964年開業の東海道新幹線、1972~1975年にかけて開業した山陽新幹線と、1982年に開業し、1985年に上野駅に乗り入れたばかりの東北新幹線、上越新幹線があった。

 1986年11月改正時、東海道新幹線の下り東京駅10時台は、臨時列車を含め「ひかり」が最大6本、「こだま」が最大4本の計10本だった。このダイヤ改正で最高速度が時速210キロから220キロに引き上げられ、東京~新大阪間は初めて3時間を切る最短2時間56分となった。

 山陽新幹線直通列車は「ひかり」6本中3本のみ。1本が速達タイプで、東京~広島間を4時間37分、東京~博多間を5時間57分で結んだが、2本は新大阪以西各駅停車だった。現在は「のぞみ」が最大12本、「ひかり」「こだま」が各2本の計16本に増え、臨時列車を含め「のぞみ」は最大7本が山陽新幹線に直通している。