千里は器械出しでありながら、あまり器械を出すこともない。ずっと無音の空間で座っているという感じだ。喉が渇くこともなければ、尿意を催すこともない。お腹はちょっとだけ減っている。
オペ室のドアがガーッと開いた。師長さんだ。ということは朝になったのである。もう24時間だ。
「あ、こうなっちゃったのね」
師長の顔を見れば、本日の看護師のメンバーを組み直さなければいけないという弱り切った表情が読み取れる。さすがに千里と外回りのナースはこれから新たな仕事はできない。

松永正訓 著
「ほとんど取れましたので、今から頭を閉じます」
先生の声を聞いて千里はホッとした。これで家に帰れる。ようやく眠れる。でも先生はこれから病棟の回診と外来診療を始めるはず。医者は過酷だなと千里はちょっと同情した。
なお、脳外科の先生のことも千里は好きだった。おもしろい先生で、手の空いたときに、若い千里をからかうように明るく話しかけてくる。ただ、ときどき「セクハラかよ」という内容もあった。ちょっとここでは言えない言葉だが。
オペ室ナースには、どこかの科の専属のように、1つの科の手術を得意としている人と、オールマイティーに全部の科をこなす人がいた。その辺のバランスは師長が全体の動きを見て決めていた。千里には特に苦手な科はなかった。自然とすべての科の器械出しをやるようになっていった。