転身後に「収入が減っても満足」と言い切れる人が持つ共通点とは?写真はイメージです Photo:PIXTA

「生き方や感情は顔つきに現れる」という楠木新さん。著述家として多くの人を取材し、さまざまな「顔」に接してきた経験から、いつしか「顔の研究」がライフワークになったと言います。『豊かな人生を送る「いい顔」の作り方』第9回は、中高年以降に充実した毎日を過ごす「いい顔」を育むヒントについて、ビジネスでの経験を元に考察していきます。

「顔にまつわる慣用句」を多用する人たちと
日常的に接していた

 私が生まれ育ったのは、歓楽地に近く、小売店主、職人、アウトローと呼ばれる立場の人々でにぎわう庶民的な街でした。彼らと日常的に接する中で、子ども心に不思議に感じていたことがあります。それは「顔に泥を塗る」とか「顔を潰す」「顔を立てる」といった、「顔」にまつわる慣用句を用いる人がとても多かったことです。

 今でも私が、顔つきにこだわっているのは、子どもの頃の体験が大きいと思っています。高校に通うようになると、このような「顔」にまつわる慣用句を話す人はほとんどいませんでした。地域性が大きかったのでしょう。

 彼らは大企業の会社員などと違い、特定の生産手段や頼れる組織を持たないので、自分の足で立たなければなりません。プラカードのように前面にある「顔つき」こそが、自らのアイデンティティとつながっているのです。

 ほかにも、自身の信用力を誇示する意味で使われる「俺はあの店には“顔”が利くんだ」という言葉や、豊かな人脈を指して「○○さんは“顔”が広いから」という言葉。さらには、何らかのトラブルに際して恥をかかずに済んだ際に、「どうにか面目が保たれたよ」と言ったりするのも、「顔」の用法の一つでしょう。

 これらの言葉ははからずも、彼らが肩書きではなく自らの「顔」を名刺代わりとし、そして、顔が人を見極めるツールになっていることを意味しています。