アップル、マイクロソフトと世界の時価総額ランキング1位を争い、誰もが知る企業となったエヌビディア。「半導体」と「AI」という2つの重要産業を制し、誇張ではなく、米国の株式市場、そして世界経済の命運を握る存在となった。しかし、その製品とビジネスの複雑さから、エヌビディアが「なぜ、これほどまでに強いのか?」については真に理解されているとは言えない状況だ。『The Nvidia way エヌビディアの流儀』は、その疑問に正面から答える、エヌビディアについての初の本格ノンフィクションである。
今回は同書よりエヌビディアの創業以来の行動原則、「光の速さで働く」の意図を紹介する。

「光の速さで働く」とはどういうことか?
エヌビディアの創業以来、ジェンスンは全社員に「光の速さ」で働くよう求めてきた。エヌビディアの業務に制約を課すものがあるとすれば、それは物理学の法則だけ。社内政治やお金の不安には縛られない。個々のプロジェクトはそれを構成するタスクへと細分化され、各タスクには遅延、待ち時間、休止期間をいっさい考慮しない目標完了時間が定められる。これが理論上の上限、つまり物理的に超えられない「光の速さ」だ。
「光の速さで仕事をすれば、どこよりも早く市場に製品を投入することができ、競合他社がうちを出し抜くのは不可能ではないにせよ、至難の業になる」とある元エヌビディア幹部は言う。「どれくらい速くできる? どうしてもっと速くやらないのか?」
これは言葉のあやではない。ジェンスンは実際にこの指標を使って社員の仕事ぶりを評価していた。彼は、自社の前例や競合他社の現在のやり方を基準にするような目標を設定した部下を叱りつけた。ジェンスンの頭には、他社に見られるような内部の腐敗を防ぎたいという考えがあったのだ。他社では、社員が安定的で持続可能な成長が実現するようプロジェクトを巧妙に加減し、みずからの出世のプラスにする、という手口が横行していた。しかし現実には、小幅な改善が続くようわざと手を抜いているにすぎず、長期的な企業の成長にとってはむしろ害を及ぼす。「光の速さ」という考え方は、エヌビディアでは決してこういう手抜きを許さない、という決意の表われだった。
「何ができるかの理論的な上限を課すのが光の速さなんだ。それが社員に認められていた唯一の評価基準だった」と元幹部のロバート・チョンゴルは振り返る。
RIVA128【筆者注:エヌビディアが初めて成功を収めたチップ。その開発の経緯は『The Nvidia way エヌビディアの流儀』に詳しい】は、「光の速さ」のプロジェクト計画の典型例だ。ジェンスンはふたつの事実に直面した。ほとんどのグラフィックス・チップは、コンセプトの段階から市場投入に至るまで2年の歳月がかかる。しかし、エヌビディアに残された猶予は9か月間。計画段階で、ジェンスンはソフトウェア・エンジニアのドワイト・ダークスにこうたずねた。「グラフィックス・カードを市場に投入するうえでの最大の制約はなんだ?」
ダークスは、ソフトウェア・ドライバが最大の障壁だと答えた。ドライバとは、オペレーティング・システムやPCアプリケーションがグラフィックス・ハードウェアと接続し、ハードウェアを使用可能な状態にするための特殊なプログラムのことだ。ドライバが最大の障壁だった理由は、チップ量産の準備が整うまでのあいだに、ドライバを完成させておく必要があったからだ。従来の生産プロセスでは、まずチップの物理的なプロトタイプをつくることが第一歩だった。プロトタイプが完成すると、ソフトウェア・エンジニアはようやくドライバの構築と見つかったバグの修正に取りかかれるようになる。その後、新しいドライバに対応するため、最低もう1回はチップ設計の最適化が行なわれた。
時間の節約のため、ジェンスンはRIVA128のプロトタイプが完成する前にこのチップのドライバ・ソフトウェアを開発するよう指示した。これは従来のプロセスとは完全に逆だ。これにより、生産スケジュールは1年近く短縮される見込みだが、物理的なチップ上でソフトウェアをテストするというステップを回避する方法を見つける必要があった。1ドルもムダにできない時期に、エヌビディアがIKOSのエミュレータに100万ドルを投資したのはそういうわけだ。これで「光の速さ」に一歩近づくことになる。
(その後、2018年に、ジェンスンは「光の速さ」を光よりもさらに速いものを示す比喩に置き換えられないかと考えた。それは物理的にありえないことだったが、彼は肥大化したエヌビディアがどんどん鈍重な組織になっていっていることに苛立っていた。彼は光よりも速く動け、と幹部たちを怒鳴りつけると、ロバート・チョンゴルのほうを振り向いて言った。「なあロブ、『スター・トレック:ディスカバリー』に瞬間移動のできる推進システムがあったよな? なんだっけ?」
「ええと、確かワープドライブは光速よりも速かったと思うけれど、たぶん活性マイセリウム胞子転移ドライブのことじゃないかな」とチョンゴルは答えた。
ジェンスンもチョンゴルも『スター・トレック』のマニアだった。「そう、胞子ドライブだ! エヌビディアは胞子ドライブのような組織にならないと!」とジェンスンが叫ぶと、全員が大笑いした。結局、「光の速さ」のまま据え置くことに決まった。瞬間移動のための「活性マイセリウム胞子転移ドライブ」よりも説明しやすかったからだ。)