長く組織名や肩書きに依存してきた
先に待つものは?
警備員の態度が変わったのは、友人が役所内でそれなりの役職にあったからでしょう。建物に入って事務室に座っている若い職員に来意を告げると、彼は素早く立ち上がり、廊下を先導して私を部屋の前まで案内してくれました。
そこでは女性秘書が起立して迎えてくれました。雑談がてら、友人にその経緯を話すと、彼は少しバツが悪そうな表情でした。もちろん私は気分を害したわけではありません。
警備員は怪しい人物を庁内に入れないのが職務ですから、来客の身分をチェックするのは当然のことです。興味のポイントは、その身分チェックの材料として私が所属している組織名を確認したことでした。
おそらくこれは役所だけではなく、大手企業にも当てはまることでしよう。組織の内と外に、目に見えない境界線が敷かれているのです。それを超えるには「所属する組織」というパスが必要で、建物内に入れば、高い役職者に対する来客として厚遇される。
そこでは私自身が持つ雰囲気や個性は顧みられないのです。
高い役職や肩書を持った人は組織内での力を持っているでしょう。しかしそれは一つの外面的な基準であって、本当の力量は、周囲からの信頼や他人との協力関係、継続的な努力の有無、組織におけるビジョンや目標の共有などから生まれるものでしょう。それらを一番体現しているのは、私は「顔つき」ではないかと従来から感じてきました。
このエピソードは日本型の雇用システムの一断面ではありますが、定年後においては、所属組織や肩書きが、意味をなさなくなってしまうことに留意が必要でしょう。
小説家の重松清さんの代表作である『定年ゴジラ』という作品に、会社を退職したばかりの2人の男性が、互いに挨拶を交わす印象的な場面が描かれています。
2人は長年の習慣で、同時に上着の内ポケットに手を差し入れるのですが、そこにはもう名刺が入っていないことに気づき、思わず顔を見合わせて苦笑いを浮かべる、というシーンです。これは組織名や肩書きに長く依存してきたビジネスパーソンの姿を、見事に描いていると感じます。