2020年代の受験者数推移から「難関疲れ」を探る

 では、「難関疲れ」について見ていこう。この言葉にはいくつかの意味が込められている。難関・上位校を目指すことに疲れてしまった状態、というのが最も多く見られる意味合いだろう。ある大手塾のベテラン講師が、かつては見られなかった現象として挙げるのは、過度に激しい入試を恐れる保護者の対応だった。「受験に向けて突っ走っていた優秀な4年生が、5年生になった段階で、親に止められた」例があるというのだ。

 ドクターストップならぬペアレントストップである。以前の世代ほど、難関校を目指せという感じではなくなってきている、という印象を塾側も抱いている。男子同様、何が何でも「御三家」という雰囲気でもなくなってきた。女子の共学校志向も強く、学校の選択の幅が広がってきた。

「難関疲れ」を検証していく中で、難関・上位校の「今昔物語」を語ることになる。女子の場合は、特に校風が大きく左右する。大学受験も生徒の自主性に任せる「昔風」は、現役で難関国立大や医学部を目指す「今風」の前で、徐々に旗色が悪くなっている。

 これから入試日程ごとに2020年代の受験者数の推移を見ていくが、ここで少し時代背景を振り返っておこう。新型コロナ禍は、19年12月初旬に中国・武漢市で初の症例報告があり、翌20年1月に東京都内で初の感染者が確認されたことに端を発する。すでに中学入試は始まっていたが、インフルエンザと同様の対応で、この年の入試は例年通りに行われた。

 事情が変わるのは、4月7日に政府が緊急事態宣言を発したときからである、翌月下旬にいったん解除されたものの、21年・22年の入試では、感染者のため予備入試日を設定するなど、各校は新型コロナ対応一色に染まった。

 21年入試に向けてこのとき懸念されたのは受験者数の激減だった。とはいえ、実際には高水準の受験状況が継続した。2月1日午前の受験率で見ると、20年・21年14.3%、22年14.6%とむしろ上向いている。1000日前後も受験勉強に取り組んできた子どもの努力を、パンデミックだからといって諦めさせるわけにもいかない。

 その一方で顕著に見られたのが、受験生の「安全志向」である。背伸びして受験するよりほどほどのランクで確実にという志向で、難関・上位校から中堅校へのシフトが顕著に見られた。感染リスクを下げるため、都県境の多摩川・荒川・江戸川を越える「越境受験」の減少も顕著で、それは2月入試の前哨戦である埼玉入試での受験者数減として表れた。この年、共学化して中学での募集を再開した広尾学園小石川が人気化、東京最多の3801人が応募、2243人が受験している。

 22年も同様の事態が続いたが、徐々に感染者数も落ち着いていく。23年5月8日の5類感染症移行を控えた23年入試では、新型コロナ禍での抑制的なムードが大きく緩和され、難関・上位校も受験者数が軒並み回復していった。
 
 上記の点も踏まえて、20年から25年の受験者数の推移を載せた2月1日午前の状況を図1で確認していただきたい。図2と図3も同様だが、25年がAランクもしくは20年がCランクでも21年以降Bランク以上の入試回が掲載対象となっている。