スタートアップが成功できるか、失敗して消えてしまうか? それを決めるのは、Product Market Fit(PMF:プロダクト・マーケット・フィット/市場で顧客に愛される製品・サービスを作ること)を達成できるかどうかにかかっている。『増補改訂版 起業の科学 スタートアップサイエンスVer.2』(田所雅之著、ダイヤモンド社)は、起業家の8割が読み、5割が実践する起業本のベストセラー『起業の科学』を9年ぶりに大改訂した最新版。本連載では同書から抜粋して、スタートアップの成長を加速するポイントについて、わかりやすくお伝えしていきます。

スタートアップの持続的成長を可能にする、たった一つの道とはPhoto: Adobe Stock

顧客に甘えるな

 これからスタートアップを始めようとすれば、生成AIを活用したサービスを検討することが多いと思うが、あなたが介護施設利用者向けのプロダクトを作るつもりなら、想定するペルソナは50代以上の人になるだろう。

「AIチャットで気軽に相談できます」というサービスを作っても、実際には音声での対話や、介護施設の職員を介したサポート、あるいはシンプルなボタン操作のインターフェースが、顧客との接点として有効になるだろう。

 このようにペルソナが変われば、接点の設け方もがらりと変わってくる。

 人事労務クラウド「SmartHR」を創業したファウンダーの宮田昇始氏は、創業初期の失敗を振り返ってこう語っている。

敗因は、プロダクトアウトの考え方による、机上の空論で作っていたところにありました

 自分たちが「優れている」と思うプロダクトを開発し、2つのサービスをローンチしたが、立て続けに失敗。その後、12回ものピボットを経て、ようやくSmartHRという正解にたどり着いた。

 宮田氏が痛感したのは、送り手側が「このくらいできて当たり前だよね」と無意識に顧客に甘えてしまう危険性だ。

 プロダクトやサービスの作り手がIT業界出身者だけの場合、中小企業をターゲットにしたビジネスをするなら「まあ、中小企業の人事担当者なら、このくらいのITリテラシーはあるだろう」「業務効率化のためなら、多少の学習コストは許容されるだろう」といった思い込みをしやすい。

 SmartHRの成功は、そうした甘えを完全に排除した徹底的な顧客理解にある。創業から2年で1万社、現在では7万社以上の企業が導入する国内シェアNo.1のクラウド人事労務ソフトへと成長した背景には、顧客への深い洞察があった。

 宮田氏は顧客インタビューの手法を根本から見直した。

「『○○に困ってますか?』と直接聞くのではなく、事実をヒアリングしていくなかで課題として定義した仮説を検証する」というアプローチだ。そして運命的な出会いがあった。

 SmartHRのアイデアでヒアリングをしたとき、5人が5人、まるで仕込まれたかのように同じ不満を語ってくれたのだ。こちらから聞かなくても、顧客が自発的に悩みを話してくれる。この瞬間、宮田氏は「これだ」と確信した。

「中小企業の人事担当者だからITリテラシーが低い」という思い込みではなく、「どうすれば誰でも直感的に使える労務管理システムを作れるか」という視点への転換が成功の鍵だった。

ハルメクが示した「顧客に甘えない」もう一つの姿勢

 同様の成功例として、シニア女性向け雑誌『ハルメク』も参考になる。

 雑誌業界が衰退する中、発行部数を大幅に伸ばした背景にも、顧客への深い洞察があった。編集部は読者との対話を通じて、シニア世代のデジタル活用における本質的な課題を発見した。

 若い世代なら当たり前のように使えるスマホやタブレットも、シニア世代にとっては意外に高いハードルだった。

 この気づきから、ハルメクは「シニアだからデジタルは無理」という思い込みではなく、「どうすればシニアが快適にデジタルを使えるか」という視点で、スマホの使い方など読者に寄り添った特集を展開している。これが成功の鍵となった(図表2-1-7)。

毎月2,000枚の声に耳を傾け、顧客に憑依

 ハルメクの編集部は毎月2,000枚ものご意見はがきを全員で読み、編集者が「自分の中の65歳のA子さん」という具体的な読者像を育てている。年数百回の読者との直接対話も欠かさない。

 SmartHRも同様に、リリース後は顧客の声に徹底的に耳を傾け、片っ端から不具合に対応し、改善を重ねた。宮田氏は「この3年間は忙しくて記憶もありません」と振り返るほど、顧客の声を起点とした改善に没頭した。

 これは単なる市場調査ではない。顧客に価値提供をしたいと思う強いこだわりと共感、いわば「顧客愛」の表れだ。

 その結果、SmartHRのユーザーからは「これなら私にも使える!と感激した」という声が生まれ、ハルメクの読者は「ハルメクは私の雑誌である」という深いファン心理を抱くようになる。

 顧客に甘えるのではなく、顧客の立場に徹底的に立つ。それが持続的成長への唯一の道なのだ。

田所雅之(たどころ・まさゆき)
株式会社ユニコーンファーム 代表取締役CEO
1978年生まれ。大学を卒業後、外資系のコンサルティングファームに入社し、経営戦略コンサルティングなどに従事。独立後は、日本で企業向け研修会社と経営コンサルティング会社、エドテック(教育技術)のスタートアップの3社、米国でECプラットフォームのスタートアップを起業し、シリコンバレーで活動した。
日本に帰国後、米国シリコンバレーのベンチャーキャピタルのベンチャーパートナーを務めた。また、欧州最大級のスタートアップイベントのアジア版、Pioneers Asiaなどで、スライド資料やプレゼンなどを基に世界各地のスタートアップ約1500社の評価を行ってきた。これまで日本とシリコンバレーのスタートアップ数十社の戦略アドバイザーやボードメンバーを務めてきた。
2017年、新たにスタートアップの支援会社ユニコーンファームを設立、代表取締役社長に就任。その経験を生かして作成したスライド集『スタートアップサイエンス2017』は全世界で約5万回シェアという大きな反響を呼んだ。
主な著書に『起業の科学』『入門 起業の科学』(以上、日経BP)、『起業大全』『「起業参謀」の戦略書』(ダイヤモンド社)など。