「モノやお金への執着を手放せる、ある考え方があります」
そう語るのは、アートディレクターの川原マリアさん。「ニューヨーク・タイムズ」で紹介されるなど活躍する川原さんですが、6人きょうだいの貧しい母子家庭で育ち、12歳からの6年間を「修道院」で過ごしています。
その川原さんが、あらゆることが禁止された修道院の暮らしで身につけた「不自由な現実に悩まないための考え方」をまとめた書籍『不自由から学べること』が刊行。悲観でも楽観でもない、しんどい現実に対するまったく新しい視点に、「気持ちが軽くなった」との声が多数。この記事では本書より一部を抜粋・編集し、「いつも幸せな人の考え方」を紹介します。

大切なモノは、手放しても忘れることはない
手紙や写真でさえも、心に刻んだら感謝しながら破って捨てるというシスターのお言葉を聞いてからというもの、私は学期ごとの部屋替えの際、モノを処分したり、実家に持って帰ったりすることが増えました。
最初は「可愛いから手放したくない」「いつか使うかもしれないから持っておきたい」と悩んでばかりでしたが、しだいに手放すことに抵抗がなくなったのです。
「それが運命だったのかも」と思えてくる
すると、モノへの執着も減っていきました。
母が誕生日にくれた「たれぱんだ」の財布。
幼い頃に父が買ってくれた「キティちゃんのぬいぐるみ」や「ロザリオ」。
母子家庭だった私にとっては、働き詰めの母からのプレゼントや、たまにしか会えない父からの贈り物には思い入れがあり、大切に保管していました。
ですが私の不在中に母が誰かにあげてしまい、すべてなくなってしまいました。
兄がくれた小型ラジオを修道院に持ち込んでいましたが、風邪をひいて寝込んでいるときにこっそり聞いていたらバレてしまい、取り上げられてしまいました。
失ってすぐは「そんなに大事なものまで?」と泣き、環境を恨みました。
ですがこういった喪失も、しだいに「何事も諸行無常で、次の誰かのもとにいったほうが良い運命だったのかも」と、受け入れられるようになっていったのです。
執着を手放し、「心」を豊かにしましょう
執着や好み、実績、学歴、肩書き……生きている間に得たさまざまなものが、自分を鎧のように守ってくれて、満たしてくれる感覚に陥ります。
しかし、そういったものは死ぬときには持っていけないし、この世で誰かとの平安を得るときも必要ないと、聖書は教えてくれています。
どれだけ思い出の詰まった品も、死ぬときには手放す必要があります。
それが、遅いか早いかというだけのことだと、この話は教えてくれました。
むしろ、手放したモノへの気持ちを心に留めたことで、さまざまな感情や思い出が鮮明に蓄積され、心は豊かになったようにさえ感じました。
こうして約6年をかけて、私は布団袋と段ボール数箱に収まる量の荷物で生活できるようになりました。
(本稿は、書籍『不自由から学べること』の内容を一部抜粋・編集して作成した記事です。書籍では他にも、「しんどい現実がラクになる考え方」を多数紹介しています。)