「大切な物を手離すツラさが消える、ある考え方があります」
そう語るのは、アートディレクターの川原マリアさん。「ニューヨーク・タイムズ」で紹介されるなど活躍する川原さんですが、6人きょうだいの貧しい母子家庭で育ち、12歳からの6年間を「修道院」で過ごしています。あらゆることが禁止された環境と向き合ったことで、思いどおりにいかない現実に「悩まない」ための考え方を身につけました。
その川原さんが「しんどい現実がラクになる考え方」をまとめたのが、書籍『不自由から学べること』。悲観でも楽観でもない現実とのまったく新しい向き合い方に、「気持ちが軽くなった」との声も。この記事では本書より一部を抜粋・編集し、「絶対に悩まない人の考え方」を紹介します。

「最小限」の所有物しか認められない環境
私が入っていた修道院では、部屋もメンバーも、学期ごとに入れ替わるのがルールでした。
新学期が近づくと新しい部屋割りがクラス替えのように発表されて、週末に大掃除と部屋替えがあることを告げられます。
学習机の配置も学期ごとに変わりました。学校の「席替え」と同じシステムです。
一方で、修道院には厳粛なスケジュールがあります。
詳しくは後ほど紹介しますが、綿密な予定が決まっていて、自由時間はほとんどありません。
そのかぎられた自由時間を使って、決められた日までに荷造りを終えなければなりませんでした。
だから、所有する荷物は最小限でなくてはならなかったのです。
宝物を手離す「喪失感」との葛藤
思い返すと、どの地でどんな仕事を任命されたとしても、生きるすべてを他者や神の意思に捧げる修道女になるための訓練でもあったのだと思います。
とはいえ、数少ない持ち物を手放すことは12歳の私には勇気が必要で、とても大きな喪失感があったことをよく覚えています。
ですが、ある経験から、私はモノとの向きあい方を見直すようになりました。
それは、ひとりで部屋替えのための準備をしていたある日のこと。12歳の私は荷造りのコツも知らず、自由時間には到底終えられなかったので、毎回、学習時間を割いて荷造りをしていました。
いつまでも宿題が終わらない夏休み最終日のような焦燥感に、涙目で途方に暮れていると、ひとりのシスターが様子を見にきてくださいました。
思わず、私はこう尋ねました。
「全然荷造りが終わりません。どうやったら終わりますか?」
するとシスターは、こう答えました。
「そうね、自分で頑張って考えて、実行するしかないわね」
私は「それが難しいから悩んでいるんです」という言葉を飲み込みました。
「モノ」は消えても、「心」には残る
そして「なぜ私たちばかり、こんな不自由でなくてはいけないのか」と不満に思い、反抗の意味も込めてこう聞きました。
「シスターはすぐにお引越しできるくらいの量の荷物ですか?」
シスターは、驚きの返答をしました。
「私は段ボール1箱分もないから、すぐに移動できますよ」
幼い私でさえこれほどの荷物があるのに、さまざまな経験を積んだ大人なら、さらに多くの荷物があるはずでは。
疑いの気持ちから、私がさらに追及したところ、シスターはこうも答えました。
「私は手紙や写真さえも、心に刻んだら感謝しながら破って捨てるわね」
修道者は、着る服も持ち物も、思い出さえも手放す身。
モノを形として残すのではなく、心に刻んだら執着は捨てる。
私は自分が選んだ道の険しさをあらためて自覚し、反省しました。
(本稿は、書籍『不自由から学べること』の内容を一部抜粋・編集して作成した記事です。書籍では他にも、「しんどい現実がラクになる考え方」を多数紹介しています。)