「行動できない人が、考えがちなことがあります」
そう語るのは、アートディレクターの川原マリアさん。「ニューヨーク・タイムズ」で紹介されるなど活躍する川原さんですが、6人きょうだいの貧しい母子家庭で育ち、12歳からの6年間を「修道院」で過ごしています。
その川原さんが、あらゆることが禁止された修道院の暮らしで身につけた「不自由な現実に悩まないための考え方」をまとめた書籍『不自由から学べること』が刊行。悲観でも楽観でもない、しんどい現実に対するまったく新しい視点に、「気持ちが軽くなった」との声が多数。この記事では本書より一部を抜粋・編集し、「悩まない人の考え方」を紹介します。

「やりたいこと」が見つからない
今の時代は、「やりたいこと」がない人も多いように感じます。
学生時代の私も、友達と遊びにいきたいとか、好きな服を着たいといった願望はありましたが、人生を通して「やりたいこと」なんて見つかっていませんでした。
修道院に帰っても日々忙しく、エンタメもない。家庭環境は問題が山積みで、学校も面白くない。そんな日常で不満こそ募るものの、なかなか将来に対しての希望は持てませんでした。
人生の目標がない人は、くだらない?
これには、私のある思い込みが影響していました。
「生きる目的は高尚なものでなくてはならない」という自己暗示です。
私は人生において、「社会や人様のため」といった立派な目標を見つけなくてはいけないと思っていたのです。
自分でハードルを高めていたせいで、「やりたいこと」はなかなか見つからず、そんな自分のことをくだらない存在だと感じていました。
「欲望」のために行動してもいい
ですが、「やりたいこと」は必ずしも高尚である必要はありません。
それを教えてくれたのもカトリックの教えでした。
「7つの大罪」をご存じでしょうか。
カトリック教会では「傲慢・強欲・嫉妬・憤怒・色欲・暴食・怠惰」の7つの罪が、伝統的な罪の源だと考えられています。
ダラダラしたい、たくさん食べたい、お金も権力も欲しい。こういった欲望が罪の源とされるのは、それが他者や自分を傷つけたりするおそれがあるからです。
一方で欲望は、人を行動へと駆り立てる強い原動力にもなります。
たとえば、部活や教会に行くのをサボりがちだった私ですが、途中から「教会にいる可愛い盲導犬に会いたい」とか「教会に行ったらお菓子がもらえる」といったことを目的にしたところ、なんとか通えるようになりました。
それまでは「遊びたい」「逃げたい」といった欲望を抑えていましたが、欲望は人間の原罪ですから、抑えようと思って抑えられるものではありません。
それなら「7つの大罪」のような人間らしい根本的な欲求を、エネルギーに変えられないか考えてみればいいのです。
(本稿は、書籍『不自由から学べること』の内容を一部抜粋・編集して作成した記事です。書籍では他にも、「しんどい現実がラクになる考え方」を多数紹介しています。)