病前に初めてそれらの用語の説明を受けたのは、たぶん大人の発達障害について積極的に発信していた星野仁彦医師への取材時だったと思う。不勉強だが、その他の精神疾患にもワーキングメモリや注意機能の低下が伴うことは、見聞きしたとしても知識として記憶に残っていなかった。
そう。知識としては知っていた。だが自身がその症状を抱えてみての実感は、「こんな圧倒的な不可能感が、こんな地獄が、この世に存在するのか!」だった。
あの時に手伝うべきだった……
体験したからこそわかる「困難感」
レジ前で僕の陥った混乱は、耐えがたいほど激しいものだった。
何より焦るのは、自分に何が起こっているのかわからないことだ。なぜたかが3桁の数字が頭から消えてしまうのか?その理由がわからないこと、対応がわからないことから来る激しい混乱。
たかが小銭を数えるのにどれだけ時間がかかるのか。周囲の目。背後に並ぶ客の気配。無用に焦らせてくるように感じる店員の視線や声色への苛立ち。
必死に立て直そうとする脳内の思考を妨害してくる周囲の雑音に対して、大声で叫び出し、その場を駆け出して逃げたくなるのを必死に抑える。
焦れば焦るほど頭が真っ白になり、小銭を数える手が異様に震えた。
杏里さん(編集部注/かつて筆者が取材した貧困当事者で、レジ会計でパニックになり泣きながら店から飛び出して行った)、ごめん。
あの朝、あなたはどんな思いで床に膝をつき、小銭をかき集めたのか。どんな気持ちであの場から駆け出したのか。
あの時僕がすべきは、自分の買い物をさっさと済まして商品を袋詰めしながらあなたを待つのではなく、すぐ横に駆け寄って会計を手伝うことだった。
「これは典型的なうつの症状だ」などとしたり顔で納得するのではなく、そこにある不自由感や自助努力ではどうにもならない絶望感を真剣に聞き取り、その不自由があることで日常生活にどれほど致命的な影響があるのか、その困難感を共有して対策を一緒に考えることが、あなたに必要なことだった。