いまならかつて取材の中でずっと感じ続けてきた「なぜ」がわかる。取材を通して「こんなにも当たり前のことができなければ、貧困に陥るのも必然だ」と思うことはたくさんあったが、「なぜできないのか」はまるっきりわかっていなかった。

 いまなら言える。

 貧困とは、「不自由な脳」(脳の認知機能や情報処理機能の低下)で生きる結果として、高確率で陥る二次症状、もしくは症候群とでも言えるようなものなのだ。

「不自由な脳」が原因で
貧困に陥り抜け出せなくなる

 脳とは情報処理の器官。ゆえに、診断名が何であれ発症原因が何であれ、脳の機能を失調するということは、情報処理の機能を失調するということだ。

 そしてその情報処理とは、見る、聞く、理解する、判断する、思考し決定するといったあらゆる「当たり前の日常行為」に使われている機能であって、それを失調するとは、まさにその当たり前の日常を失うということになる。

 それが、「不自由な脳」という絶望。

 3桁の会計額を速やかに出せない脳機能低下状態だけでも、社会生活や実務上のあらゆるシーンで健常者には想像もつかない不自由が立ち現れ、驚くほど多くの「当たり前のことができない」に波及していく。そしてその当事者には、耐えがたいほどリアルな苦しみと焦燥感が伴う。

 幸い僕の抱える高次脳機能障害とは非常に長い時間をかけて機能を再獲得していくタイプの障害だし、僕自身はその長い回復期間を凌ぐだけの様々な人的物的金銭的資産を持ち得ていた。だが、そのいくつかがなければ間違いなく、僕自身も過去の取材対象者たち同様に、貧困に陥り抜け出せなくなっていたと断言できる。

 改めて、自身も未だその強いリスクの中にある者として、貧困の当事者像を「不自由な脳」というフィルターを通して解像度を上げ、描き直してみたい。かつての取材で感じ続けた「なぜ」を回想しつつ、その答えを内側から解き直してみようと思う。