
2015年に脳梗塞(こうそく)を発症したことで「高次脳機能障害」を負い、「不自由な脳」(脳の認知機能や情報処理機能の低下)で生きることになった著者。過去に取材した貧困当事者たちも、著者と同様に事務処理能力が低下している傾向にあり、資料の理解や書類の記入が苦手だったという。「不自由な脳」により当事者の生活保護申請が困難になってしまう、その事例を紹介する。※本稿は、鈴木大介『貧困と脳 「働かない」のではなく「働けない」』(幻冬舎)の一部を抜粋・編集したものです。
取材対象は23歳シングルマザー
生活保護申請支援の苦い思い出
自身がこの不自由な脳になって「彼らの言っていたのはこういう感覚だったのか!」と驚き、やっと理解ができたことに感動すら覚えたポイントがある。
それが、「事務処理能力の喪失」だ。これは、不自由な脳の当事者が制度につながりにくい様々な理由の中でも、ど真ん中の「症状」である。
貧困当事者とされる者は共通して「圧倒的に事務処理能力が低い」ゆえに、制度接続が困難。それはかつての取材の中で、強く実感していたことだった。彼らは制度を利用するためのルールなどを理解するのも非常に困難だったし、何より申請ごとに必要な資料の理解や申請書類の記入などを、やはり驚くほど苦手としていた。
もちろん世代間を連鎖する貧困の中、教育資源を得る機会を失った結果、そもそも生活保護や母子手当等の様々な手当の存在を知らなかったり、「住民票」という概念すら知らなかったケースもあった。
だが一方で、読み書きに必要な教育の機会は十分あり、それどころか過去に資格職やそのもの「事務職」経験があった者ですら、貧困状況に陥った彼らは驚くほどに事務処理能力が低く見えたのだ。
最も苦い思い出として脳裏に浮かぶのは、取材対象者の生活保護申請を支援しようと試み続けた時期(2008~2010年)のことだ。
取材対象者で拙著にも登場したことのある桐原瑠衣さんは、まだ23歳にして6歳の子どもを育てるシングルマザー。住むエリアは僕の住む首都圏から車を飛ばしても2時間で、彼女が希望する待ち合わせ場所もまた本人の住む場所からバスで1時間以上。生活保護の申請に必要な事務作業を確認し、可能ならその日のうちに福祉事務所に一緒に行こうと待ち合わせたのは、双方それなりの移動コストを払ってのことだった。
だがその日、瑠衣さんは3時間と大幅な遅刻をしてきた上に、持ってくるように前夜にリマインドメールまで入れていた収入申告書や資産申告書類(最後に勤めていた派遣会社の給与明細や離職票、銀行通帳のコピー、年金手帳、賃貸の契約書等々)の一切合切を用意せず、手ぶらでやってきた。