いまシリコンバレーをはじめ、世界で「ストイシズム」の教えが爆発的に広がっている。日本でも、ストイックな生き方が身につく『STOIC 人生の教科書ストイシズム』(ブリタニー・ポラット著、花塚恵訳)がついに刊行。佐藤優氏が「大きな理想を獲得するには禁欲が必要だ。この逆説の神髄をつかんだ者が勝利する」と評する一冊だ。同書の刊行に寄せて、ライターの小川晶子さんに寄稿いただいた。(ダイヤモンド社書籍編集局)

合コンをするうちに起きた異変
就職氷河期世代であり、ぼんやりした大学生活を過ごした私はOL以外になるものがなかった。商社の一般事務職として入社し、同期は女性5人(私だけ経理担当)。バブル時代にはイケイケだったというその会社は、男性は営業職、女性は事務職と区別していた。
いま考えれば、社風も職種も何もかも向いていなかったように思うし、いろいろと大変な目にも遭ったが、10年間も続けてしまった。
とくに間違っていたと思うのは、合コンである。
一見華やかな業界のOLで同期が5人とくれば、合コンをするのが当たり前みたいな感覚があったのだ。合コンの予定を楽しみにし、その日は残業せずに帰るみたいなステレオタイプなOL像に自分を当てはめようとしていた。
それで、実際に数回行われた。しかしすぐに異変が起きた。
合コン当日に具合が悪くなる同期が続出したのだ。
私が幹事のときだった。同期の一人が咳をしながら「本当にごめん。セッティングしてくれたのに……。〇〇ちゃんも具合が悪いって。とにかく幹事に申し訳ない」と伝えてきた。合コンに行けなくて残念、ではなく、セッティングしてくれた幹事に申し訳ない思いでいっぱいであるようだった。私はこれに衝撃を受けた。
実は私も、合コンには気乗りしないが、同期がセッティングしてくれたものには行かなければ申し訳ないと思っていたのだ。
え、もしかして誰も行きたくなかった?!
まわりに合わせすぎていないか?
よく考えれば私たちはみんなハードワークで、残業をしない日をつくるには別の日にかなり頑張らなければならず、行きたくもない合コンのために頑張れば具合が悪くなるのも当然なのだった。それなのに、「おっ、今日は合コンか?」などとからかわれ、心の中で舌打ちをしながら明るく「お先に失礼しま~す」とか言っていたのだ。
ばかばかしい。が、当時はそれにあまり疑問を持っていなかった。
早めに具合が悪くなってくれて良かったというものだ。
合コンに限らず、もしかするとこういうことはよく起きているのかもしれない。
とくに、新社会人や新しい環境に入ったばかりの人は要注意だ。周囲の行動に合わせることが最優先になり、自分の本当の気持ちを後回しにしてしまいがちだからだ。しかし、まわりに合わせてばかりだと、メンタルが崩れてしまう。
あなたの体調や気分がすぐれないとしたら、自分を何かに当てはめて頑張ろうとしすぎているのかもしれない。
古代ギリシャの哲学者セネカは、これについてわかりやすい言葉で伝えてくれている。
自分の人生を生きる
――『STOIC 人生の教科書ストイシズム』より
世間で広く受け入れられていること、良いとされていることが最善だとは限らない。むしろ「自分もそうしなくては」と思い込むことが問題の原因になる。頑張っても自分自身が嬉しくないどころか、誰も喜んでいなかったという場合もあるのだ。
そんな意味のないことをするより、自分の理性を大事にした生き方をしたほうがいい。
自分の内面に目を向け、理想の自分ならどうするかを考えて行動をすることで、心身ともに調子が上がっていくに違いない。
(本原稿は、ブリタニー・ポラット著『STOIC 人生の教科書ストイシズム』〈花塚恵訳〉に関連した書き下ろし記事です)