いまシリコンバレーをはじめ、世界で「ストイシズム」の教えが爆発的に広がっている。日本でも、ストイックな生き方が身につく『STOIC 人生の教科書ストイシズム』(ブリタニー・ポラット著、花塚恵訳)がついに刊行。佐藤優氏が「大きな理想を獲得するには禁欲が必要だ。この逆説の神髄をつかんだ者が勝利する」と評する一冊だ。同書の刊行に寄せて、ライターの小川晶子さんに寄稿いただいた。(ダイヤモンド社書籍編集局)

人間の不完全さを受け入れる
「では、恥知らずな人がこの世からいなくなることはあるか?」と。
そんなことはありえない。
ならば、ありえないことは求めるな。(マルクス・アウレリウス『自省録』)
――『STOIC 人生の教科書ストイシズム』より
恥知らずな行為を見聞きした
フリーとして仕事を始めたばかりの頃、身近で「恥知らずな行為」をよく見聞きした。
著名で権力があると思われる人が、フリーランスの若者にいいことを言って仕事をさせ(ときには接待要員として扱い、セクハラまがいのことをし)、わずかな報酬しか支払わないとか。勉強させてやっているということなのかもしれないが、やり方がずるく、「恥知らずだなぁ」と思っていた。
私自身も腹の立つことは何回かあった。しかし被害は大きくなかったのでスルーできた。20年近く前なので、いまとはだいぶ空気が違い、「声を上げたところでどうにもならない」という思いもあっただろう。
それなりに被害が大きかった場合、いまならSNS等を使ってバッシングし、相手にダメージを与えることも可能かもしれない。
相手に後悔させたい欲求
もちろん、理不尽なことをされたときに対抗手段を持つのは大事だし、自分と同じ被害に遭う人をなくすために警鐘を鳴らすことには大きな意味がある。
一方で、自分を優先して考えるのであれば、「相手を打ちのめしたい」「後悔させ、謝らせたい」「社会的に抹消したい」のような強い負のエネルギーで動くのは、かならずしも得策とは限らない。相手がどうなるかは自分のコントロール外のことなので、それに執着すると、自分自身に余計な苦しみを生むことにもなりかねない。
ストア哲学者たちは、「自分でコントロールできるものに集中し、コントロールできないことには執着するな」と説いている。それが心を平静に保ち、よりよく生きるのに必要だからだ。他人に振り回されてどんよりした気分のときなど、この一言を心のなかで唱えれば、心がスッと楽になる。
逆にいつまでも「あんな恥知らずなやつはいなくなれ」などと思って執着していると、自分がどんどん苦しくなっていく。
自分も完璧ではない
ローマ皇帝であり哲学者でもあったマルクス・アウレリウスは、「恥知らずな人がこの世からいなくなることがあるか?」と自問せよと言っている。これは、相手もそうだが自分も完璧ではないことを示唆している。
自分も、誰かに対して恥知らずな行為をしていたかもしれない。美徳に即した行動をとろうと思っていても、人間は完璧にはなれないし、相手が自分をどう思うかは相手の自由だ。
そうやって冷静になってみると、多少は怒りがやわらぐような気がするがどうだろうか。
まあ、腹は立つのだが。
幸福に生きることを考えるなら、怒りで相手をコントロールしようとするのはやめたほうが良さそうである。
(本原稿は、ブリタニー・ポラット著『STOIC 人生の教科書ストイシズム』〈花塚恵訳〉に関連した書き下ろし記事です)