ダウンタウンの歴史を振り返る
ダウンタウンの歴史を振り返ると、彼らがいかに日本のエンタメ業界を変えてきたかが分かる。年代順にかいつまんで追っていく。
1980年代
吉本興業の芸人養成所NSC大阪校の1期生として入学し、1982年にコンビ結成。87年に始まった関西のローカル番組『4時ですよ~だ』でブレークし、全国区のスターへと駆け上がる。漫才の掛け合いではなく、コントやフリートークを武器にした新感覚の笑いは、若者の間で爆発的な人気となった。
1990年代
東京進出後の冠番組『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』(開始は1989年)では漫才やコントをやめてフリートークのコーナーを導入した。また、過激な罰ゲームや挑戦企画が話題を呼び、お笑い番組の概念を大きく変えた。
『HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP』では、アーティストとのトークを目玉に据えることで、音楽番組に新しい息吹を吹き込んだ。
『ダウンタウンのごっつええ感じ』では、ダウンタウン自身が面白いと思うコントを詰め込むなど、時にシュールで挑戦的な番組作りが人気に。なお、番組終了が発表された当時は大きな騒動となった。フジテレビとの対立が取り沙汰され、テレビ局との関係性に一石を投じた事件として記憶される。
二人はカリスマ的な人気を博すようになり、ソロ活動も活発化。浜田は俳優や歌手にも挑戦しCDが大ヒット。松本は日本武道館で単独ライブを行ったり、エッセイ本が大ヒットしたりした。
2000年代以降
『ダウンタウンDX』では、俳優や文化人もトークに巻き込むバラエティーの新たな形を確立した。
『ガキの使いやあらへんで!』から出た企画『笑ってはいけない』シリーズが年末の風物詩となり、年越し番組としてお茶の間に浸透した。
『水曜日のダウンタウン』では、SNSと親和性の高い企画が多くの話題を生んでいる。