いまシリコンバレーをはじめ、世界で「ストイシズム」の教えが爆発的に広がっている。日本でも、ストイックな生き方が身につく『STOIC 人生の教科書ストイシズム』(ブリタニー・ポラット著、花塚恵訳)がついに刊行。佐藤優氏が「大きな理想を獲得するには禁欲が必要だ。この逆説の神髄をつかんだ者が勝利する」と評する一冊だ。同書の刊行に寄せて、ライターの小川晶子さんに寄稿いただいた。(ダイヤモンド社書籍編集局)
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夢を語る子どもに何と言う?
小学生の息子はプログラミングにハマっていて、オリジナルゲームを作るのが好きなのだが、彼が「世界一面白いゲームを作れる人になりたい」と言ったとして、私は「いやいやいや、ギャップありすぎだろう。現在の自分をよく見てから言え」などとは絶対に言わない。
「きっとなれるよ」と言う。ほとんどの大人がそうだろう。
理想と現実にどれほど大きなギャップがあろうが、そんなことは問題ではない。大きな夢、高い理想を持っていること自体が素晴らしいではないか。道は険しくとも、最初からあきらめる理由はない。
同じように、「勇気と思いやりがあり、誰に対しても公平な立派な人になりたい」と高い理想を持つ子がいたら、「素晴らしいね。もちろん、なれるよ」と言うだろう。
実際の場面では未熟で、失敗を繰り返していたとしても、「言っていることと全然違うじゃないか」なんてことは言わない。つまずくことはあっても、理想はあったほうがいいと感じる。
「自分をおとしめる」という悪習
それなのに、自分のこととなるとどうだろう。
大きな夢、高い理想を持つことを気恥ずかしく感じる。現実とかけ離れていてどうしようもないなどと、心の中で自己批判をしてしまう。
「たいしたことのない人間のくせに、理想なんか言っちゃってお笑い草だよ」
「こんな恥ずかしい失敗をするなんてバカだ」
人には言わないのに、自分には悪口を言いたい放題だ。
自分を思いやる
ところで、古代ギリシャ、ローマのストア派の哲学者は、美徳こそが幸福な人生にとって必要なものだと考え、人格を高める教えを広めた。
ストア派の哲学者、マルクス・アウレリウスはこう言っている。
なぜなら、他者にも一度として意図して苦しみを与えたことはないのだから。(マルクス・アウレリウス『自省録』)
――『STOIC 人生の教科書ストイシズム』より
相手を傷つける意図で、面と向かって悪口を言わないのは当たり前。同じように、自分を傷つけるようなこともしないと言っているのだ。
相手も自分も苦しめない。本当に公平な生き方である。
ストイシズム(ストア哲学)は高い理想を掲げる。だが、理想に追いついていないからといって自分を批判したり卑下したりするのは違う。気づいたら修正すればいいだけだ。
安易な失敗をしたときなどは自分をけちょんけちょんに罵りたくなるだろうが、自分の弱い心を冷静に見つめて、次に生かしていけばいい。
自分に厳しい印象のあるストイシズムだが、その根底にある「他人も自分も公平に思いやる」考え方があらわれている名言だと思う。
(本原稿は、ブリタニー・ポラット著『STOIC 人生の教科書ストイシズム』〈花塚恵訳〉に関連した書き下ろし記事です)