いまシリコンバレーをはじめ、世界で「ストイシズム」の教えが爆発的に広がっている。日本でも、ストイックな生き方が身につく『STOIC 人生の教科書ストイシズム』(ブリタニー・ポラット著、花塚恵訳)がついに刊行。佐藤優氏が「大きな理想を獲得するには禁欲が必要だ。この逆説の神髄をつかんだ者が勝利する」と評する一冊だ。同書の刊行に寄せて、ライターの小川晶子さんに寄稿いただいた。(ダイヤモンド社書籍編集局)

ペットの思い出
子どもの頃、私は「モンちゃん」と名付けたモルモットを飼っていた。モンちゃんは毛の長い大きなモルモットで子猫くらいの大きさだったが、平べったくなって狭い場所に隠れられるという特技を持っていた。
私はモンちゃんをとても愛していた。
よく多摩川の河原や原っぱに連れて行き、そこで本気の追いかけっこをした。モンちゃんが狭い場所に隠れてしまうと、連れ出すのは大変だった。
モンちゃんは細い二本の前歯を剥き出しながらハコベの葉っぱなどをよく食べた。
いいねぇ、モンちゃんは、そこらじゅうに美味しいものがあって。
モンちゃんがムシャムシャしている顔はとにかく可愛い。見ているだけで幸せな気分になった。
愛する存在の死が受け入れられない
モンちゃんが寿命を終えて、カゴの中で冷たくなっていたとき、私はモンちゃんの死がどうしても受け入れられなかった。
私は平べったくなったまま硬直してしまったモンちゃんを抱っこして、
「生き返りますように。生き返りますように。生き返りますように」
唱え続けた。
お墓に埋めたあとも、毎日「モンちゃんが帰ってきますように」と神様にお願いした。大事にしているお絵描きセットなどをお供えして、「これ全部あげるからモンちゃんを返してください」とお願いした。
自分がいい子にしていれば、モンちゃんは帰ってくるのではないかと本気で思っていた。
でも、モンちゃんは生き返るわけがなく、空っぽのカゴはそのままで、日々は過ぎていった。
私はモンちゃんの絵を描いたり、モンちゃんを主人公にしたお話を書いたりして悲しみを癒やした。
ストア哲学者のセネカは、愛する者の死とどう向き合うかについて、「一緒に過ごせた時間を恵みとして受け止めよう」と言っている。
かりそめの恵み
一緒に過ごせたかもしれない年月の長さについて考える必要はなく、一緒にいた年月に思いを馳せるのです。
あなたに兄弟を授けたのは自然であり、自然は他の人に対してと同様、あなたに絶対的な所有物としてではなく貸与物として兄弟を授けました。
そして時期が来たと判断したときに、自らのもとへ戻したのです。(セネカ『ポリュピウスに宛てた慰めの書』)
――『STOIC 人生の教科書ストイシズム』より
ペットにも、友だちにも、恋人にも、家族にも、全員に等しく死は訪れる。
自分もいつか死ぬ。
永遠に一緒にいることはできない。
もっと一緒にいたかったけれど、一緒にいられた時間に気持ちを向ければ、感謝が湧いてくる。
「愛する存在とともにすごせた時間」は、人生でもっともかけがえのないものだ。
私はモンちゃんと一緒に過ごした時間を宝物としていまも大事にしている。
愛する人たちとの時間という宝物を増やしていこう。
(本原稿は、ブリタニー・ポラット著『STOIC 人生の教科書ストイシズム』〈花塚恵訳〉に関連した書き下ろし記事です)