いまシリコンバレーをはじめ、世界で「ストイシズム」の教えが爆発的に広がっている。日本でも、ストイックな生き方が身につく『STOIC 人生の教科書ストイシズム』(ブリタニー・ポラット著、花塚恵訳)がついに刊行。佐藤優氏が「大きな理想を獲得するには禁欲が必要だ。この逆説の神髄をつかんだ者が勝利する」と評する一冊だ。同書の刊行に寄せて、ライターの小川晶子さんに寄稿いただいた。(ダイヤモンド社書籍編集局)

自分の死をリアルに考えるようになった
昨年、私は初めて本当に死を意識するようになった。
これまで、親しい人の死に遭遇するたび、死を扱った作品に触れるたび、「死を思って生きる」ことを考えてきた。
しかし、本当に死を思って生きることはできていなかった。死を思うのは一瞬で、すぐに日常に戻る。
それが変わったのは、本当に具合が悪かったからだ。体の調子が悪く、メンタルもこれまでになく落ち込み、ちょっとやばかった。あちこち調べてもらったりもした。
はじめて本当に「死ぬのかもしれない」と思った。まだ小さい子どもたちを置いていくのか、この子たちはどうなってしまうのかと悪い妄想が広がった。
死を思ったあとに、いまを感じる
ひととおりリアルに死を感じた後で、はっとしたように「でも、いまは生きている」と思った。
とりあえずこの瞬間は生きることができている。子どもたちの笑顔を見たり、太陽の光やそよぐ風を感じたりすることができている。ありがたい。目の前の世界が急に輝いてきたように感じた。
それ以降、「死ぬのかも。死んだらどうしよう」という不安に襲われるたびに「でも、いまは生きている」と唱えることにした。
人はいつか死ぬ。明日かもしれない。でも、明日死ぬとわかっていたとして、「いやだ。死ぬのは怖い」と考えることに今日を使うのはもったいない。死んだらどうしようと考えることほど無駄なことはない。
明日死ぬなら、今日を楽しく精一杯生きた方がいいに決まっている。
子どもたちにも、「一緒にいて楽しかったな」と思ってもらったほうがいいに決まっている。
ストア哲学者のエピクテトスは、死を受け入れるよう説いている。
死に向き合う
一時間が一日の一部であるように、全体の一部だ。
わたしは一時間として生まれ、ほかの一時間と同じように過ぎ去らねばならない。(エピクテトス『語録』)
――『STOIC 人生の教科書ストイシズム』より
死は人間の条件だ。これほど人生に大きな影響を持つ重大な概念は他にない。だが、多くの人はまともに考えようとせず、目を背けている。
人は誰でも確実に過ぎ去らねばならない。だが、一時間が一日の一部であるように、私も全体の一部。いつか過ぎ去るが、家族の、仲間たちの、人類の物語は続く。少しでもいい物語となるよう、自分の役割をまっとうすればいい。
『STOIC 人生の教科書ストイシズム』は、さまざまな言葉を通じて、「人生は短い。では、どう生きるか?」と問いかけてくる。
読むことで、限りある人生の時間を浪費せず、大事なことに使いたいと意識することができる。
(本原稿は、ブリタニー・ポラット著『STOIC 人生の教科書ストイシズム』〈花塚恵訳〉に関連した書き下ろし記事です)