この夫婦には子どもがいなかったから、他に頼る人もいなかった。夫は真面目な人だったのであろう。自分一人で妻を看ようと全てを抱え込み、行政に助けを求めることもなかった。

 5年間の介護の末、わずかだった貯金も底をつき、彼の疲労も限界に達した。

 検死現場に行ったら、歩けるスペースがないくらい家の中が散らかっていた。

 日々の妻の世話に必死で、家を掃除するという気力もなかった。この5年間で夫は、顔色も悪くなり痩せ細っていった。もう自分一人では妻は看られない。

 限界だ。ここで私が倒れたら誰が妻を介護してくれるのだろうか。妻をおいて自分が先に死ぬことはできない。

 妻が先に死んだら、自分は楽になるかもしれない。いっそのこと妻を殺してしまおうか。でも、そんなことはできない。

 夫は毎晩苦しんだ。悪夢を見るようになり、うなされた。眠れなくなった。

 そして苦しみ抜いた結果、夫は、妻を殺して自分も死のうと心中を決意した。

「自分が妻を殺しました」

 妻は浴槽の中で溺没の状態で見つかった。

 夫は睡眠薬を飲んで自殺をはかったが、たまたま心配して様子を見に来た近所の人に発見されて一命を取り留めた。

 意識を取り戻した夫は、警官に妻のことを聞かれた。夫は病室のベッドで窓の遠くを見ながら、「自分が妻を殺しました」と静かに、はっきりとした口調で自白した。

 しかし、妻を検死してみると、その痩せ細った手首に、夫の手の跡がくっきりと残っていたのである。

 それは妻を殺そうと溺れさせるために押さえつけた跡ではなく、むしろ引っ張り上げたときにできる手の形の跡だと分かった。