本当のところを夫に問い詰めた。「毎日世話をする生活に疲れ果てて、妻に早く死んでほしいと思うようになっていた」と泣き出した。「目を離したすきに溺れている妻を見て、急いで助けようと引っ張り上げたんです。

 でも持ち上げようとする私の手を、妻が唯一動かせる右手で振りほどいたんです。

 そのときの口は『あなた、もういいです』と言っていた」と、両手で顔を覆いながら嗚咽した。

 高齢社会に即した福祉政策の充実が望まれる。

遺書に書かれた「おかあさんといきます」

 一行だけが書かれていた。

「おかあさんといきます」

 母子心中の現場にあった遺書である。

 心中したのはまだ小学校低学年くらいの女の子とその母親だった。薄暗いアパートの一室で二人が横たわっているのが見つかった。

 遺書は、その女の子が書いたものであった。まだきちんと書けない幼い字で書かれてあった。

 そして、その女の子の遺書の隣の枕元には、母親が書いた「この子は一人では生きていくのが大変です。だから二人で死にます」という遺書も見つかった。

 美しい文字で書かれていた。

 女の子は耳に障害があり、聞こえなかった。母親が子どもの将来を悲観したのであろう。

 耳が聞こえないから将来苦労する、私が生きている間はいいが、死んでこの子一人になってしまったらどうやって生きていくのだろう、一人では到底生きていけない、と日々思い悩んだ末の、死の選択であったのかもしれない。

 閉め切った部屋でガスの元栓を開けた一酸化炭素中毒による心中事件であることは間違いなかった。しかし、この二つの遺書が問題であった。

 二人が合意の上で心中をしたならば、母親も子どもも自殺としての扱いになるが、子どもが死ぬことに合意をしていないならば、母親が自殺で子どもは母親に殺された他殺となる。

 この子は、自分の意思で自殺しようと思って「おかあさんといきます」という遺書を書いたのだろうか。

 筆跡から、この女の子が書いたことは間違いない。しかし、母親にこのように書きなさい、と強制されて書いたものかもしれない。