座っている女性写真はイメージです Photo:PIXTA

母から娘に与えられる厳しすぎる規範は呪縛となり、時に悲劇を招く。2018年には、医学部への進学を強要され、9年間もの浪人生活を強いられた娘が、母親を殺害する事件が起きた。事件の背後には、母の規範に縛られた娘の苦悩と、「母に許されたい」という強迫観念があった。母が娘の人生にどれほど強い影響を及ぼすか、どうすれば娘は母の呪縛から逃れられるのか。母と娘を題材にした作品読解を通じて考察する。※本稿は、『娘が母を殺すには?』(三宅香帆、PLANETS/第二次惑星開発委員会)の一部を抜粋・編集したものです。

それは母がゆるさない
娘を縛るのは世間ではなく母

 太宰治の小説『人間失格』にこんな一節がある。

(それは世間が、ゆるさない)
(世間じゃない。あなたが、ゆるさないのでしょう?)
(そんな事をすると、世間からひどいめに逢うぞ)
(世間じゃない。あなたでしょう?)
(いまに世間から葬られる)
(世間じゃない。葬むるのは、あなたでしょう?)
太宰治『人間失格』

『人間失格』の主人公は、「世間というものは、個人ではなかろうか」と気づいたときから、自分の意志で動くことができるようになり、少しだけ「わがまま」になった、と回想する。

 しかし私は、この小説を読むとき、「娘」たちのことを考える。

「娘」というのは、私の周囲に実在する、あるいは小説や漫画のなかで見てきた、無数の「母の娘」たちのことである。

「娘」たちは、幼少期から母によって「それは世間が、ゆるさない」「そんな事をすると、世間からひどいめに逢うぞ」と、呪文のように唱えられる。経済的に自立しても、結婚して姓が変わっても、母の介護を担当するような年齢になっても、繰り返し、繰り返し。そして、その呪文は、「母」から「娘」に受け継がれていく。

 つまり「娘」にとって「世間」とは――ほかでもない「母」のことではないか?

 なぜ娘たちは、「それは母が許さない」という言葉で、自らを縛ってしまうのだろう?

滋賀医科大学生母親殺害事件
娘の動機は「呪縛から逃れたい」

 母との葛藤を抱える⼈は、少なくないのだろう。
 今年5月に、『娘が母を殺すには?』という書籍を刊行すると、多くの「娘」たちから共感の声が寄せられた。
 同書は「母と娘」を主題としたフィクションを読み解く文芸評論であるのだが、その中で1冊だけ、ノンフィクション――現実を題材にした書籍について扱っている。

 2018年、当時看護学科に通っていた31歳の女子大生が、同居していた58歳の母親を殺害した。医学部への進学を母に強要され、9年間もの浪人生活を強いられた結果、眠っている母親をメッタ刺しにして殺害し、公園に死体を遺棄。常軌を逸した教育虐待が、「子による親の殺害」という最悪の事態を引き起こしたこの事件は、社会に大きな衝撃を与えた。