「お金が欲しい」だけで選んだ進路――その先に待っていた、まさかの結末
働きながら株で資産50億円を築いた“本当に儲かる3つの投資術”を初公開――余命宣告を受けた医師 兼 個人投資家の父が愛娘に捧げる著書『50万円を50億円に増やした 投資家の父から娘への教え』(ダイヤモンド社)。4度の手術を経て、49歳で肺と肝臓へのがん転移が判明。主治医からは「50歳は迎えられても51歳はわからない」と宣告された著者が、50万円を50億円に増やした投資法を愛娘に向けて全力指南。再現性の高い3つの投資法をマスターすれば、忙しく働きながらも「一生困らないお金」を稼げるようになる。「人生の集大成として、出し惜しみ無しで、魂を込めて書きました」(著者より)。
※本稿は『50万円を50億円に増やした 投資家の父から娘への教え』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。

具体的な投資法の前に、もうひとつだけ
具体的な投資法を伝えていこう……と、その前に、もう1つ知っておいてほしいことがある。
それは、僕の半生についてだ。
中学校の宿題では語れなかったこと
以前、娘が通っている中学校の先生から「あなたの親に、これまでの人生を聞いてみよう」という宿題が出されたことがあった。
あのとき、実は気恥ずかしくて伝えきれていないことがあった。そこで、ここでは僕の人生を振り返っておきたい。
私立進学校に合格、そして再びの慢心
必死に受験勉強をした結果、まずまずのレベルの私立の進学校に受かることができた。
「なんだ、ちょっと勉強すれば、やっぱりなんとかなるじゃないか」と、また調子に乗ってしまった。
山奥の寮生活と強制自習の毎日
僕が入った高校はすごい山奥にあった。学校の寮に入った。
寮では午後7時から9時までは学習机で勉強しなくちゃいけない。「寮監」が見回っているから、サボることはできない。
スマホもない時代、勉強だけの日々
まだスマホもない時代だから、勉強するか本を読むか以外、基本的にやることがなかった。
ただ勉強ばかりしていた僕の成績は、するすると伸びていった。
偏差値は「東大か医学部」レベルに
気がつけば「東大にいくか、医学部にいくか」くらいの偏差値になっていた。
僕は医学部を目指した。「医者になりたい」ではなく、「お金持ちになりたい」と思ったんだ。
「世の中は結局、お金だ」と思った理由
寮生活でたくさんの本を読むうちに、「世の中って結局、お金なんだなぁ」と感じた。
東大卒でもお金持ちになれるとは限らない。でも、医者になれば、そこそこ稼げるはず。
英語がダメで神戸大を断念、そして広島大へ
センター試験(現・共通テスト)の英語の成績がまったくダメで、地元にある神戸大学医学部をあきらめた。
そこで、「広島東洋カープが好き」「神戸大と見劣りしない」という理由で、広島大学医学部を選んだ。
医学部に入っても、真面目にはなれなかった
社会的使命を抱いて進んだわけではなかったので、“不真面目な医学生”だった。
大学に向かうものの、雀荘に通う日々が続いたのだ。
麻雀とヨットに明け暮れる大学生活
大学では体育会ヨット部に入り、平日は麻雀、土日はヨットという1週間。
日本の医学部は通常6年制。6年間で基礎医学・臨床医学の実習などを学び、医師国家試験合格でキャリアが始まる。
「ポリクリ」で気づいたこと
5年生で始まる臨床実習「ポリクリニック」。患者と接し、医師の指導のもと診察・治療の現場を経験する。
このとき僕は、「医者に向いていないな……」と気づいてしまった。
※本稿は『50万円を50億円に増やした 投資家の父から娘への教え』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。