経営計画は現場に即しているか――。
2025年2月に刊行された今話題の書『ファイナンス学者の思考法』の著者で、大阪公立大学大学院経営学研究科・商学部教授、昭和女子大学グローバルビジネス学部客員教授の宮川壽夫氏が、プログラマーとして日本人で初めてのピクサー・アニメーション・スタジオ(アメリカ)での勤務経験を持つ株式会社ポリフォニー・デジタルのシニアマネージャーの手島孝人さんと対談しました。お二人は、筑波大学社会人大学院時代の同級生。ファイナンスとクリエイティブ、それぞれの分野で活躍してきたからこそ見えてきた、仕事の進め方や組織のあり方について語り合います。最終回となる第4回では、ピクサーでの働き方に始まり、経営計画のあり方から、会社組織の存在意義について考察します。
(第4回/全4回)(進行/ダイヤモンド社・横田大樹、森遥香 構成/水沢環)

ピクサーが教えてくれた主体性

京都大学工学部卒・筑波大学ビジネス科学研究科修了。1996年より(株)ナムコCG開発部、(株)ポリフォニー・デジタル、ピクサー・アニメーションスタジオ(カリフォルニア)にてゲームや映画のCG制作パイプライン、ツール開発などに従事する、コンピュータグラフィックス専門のソフトウェアエンジニア。
宮川壽夫(以下、宮川):僕ら筑波(大学院)の同級生で集まると、いつもこんなふうに今起きてることについて議論するんですよね。昔の思い出話とかじゃなくて、あの頃考えていたことを今の自分はこう考えているとか、今の自分は当時に比べてどんなふうに見方が変わっているかとか。昔話の繰り返しにならないところが僕はすごく好きなんです。この知的で刺激的な飲み会から僕は毎回なにかを学んで帰ります。
手島孝人(以下、手島):そうですね。僕も今の宮川先生と学生との関係とかに興味がありますし、お話を聞いていてもおもしろいです。
宮川:もう20年ですからね。お互い見た目も考え方も変わったよね。
手島:ははは、歳取りましたからね。あと、ピクサーから帰ってからは図々しくなった気がしますね(笑)。まさに「オールを握る」ようになったというか。
僕は日本人で、純ドメスティックな育ち方をしてきたし、最初の会社も日本企業だったので、元々は上司あるいは上の部門の命令には従わなくてはならない、みたいな刷り込みが強くありました。だけどアメリカでその辺が全部なくなってしまって、今は上から言われることにすんなり従わないヤツになっている気がします(笑)。

大阪公立大学大学院経営学研究科・商学部教授 昭和女子大学グローバルビジネス学部客員教授
――やはりピクサーで働かれた時間は手島さんの人生にとって大きな転換期だったのですね。
手島:そうですね。ピクサーはすごくインターナショナルな会社で、僕の上司はイタリア人だったし、同僚にはアメリカ人、フランス人、ロシア人、インド人、スペイン人がいて、最初からアメリカのダイバーシティ文化を直に体験できたのはとくに良かったと思います。
それと、ピクサーって名刺の肩書きを自分で決められるんですよ。
宮川:僕はその名刺の話が大好きで、今でも学生によく話すネタにしています(笑)。
手島:そうなんですね。僕の名刺には「GRAPHICS R&D ENGINEER」とわりとスタンダードなことを書いていたんですが、「ガラクタ製造機」なんて書く人もいたり、「DIFFERENTIAL ANALYZER(微分解析機)」って格好良い名前を付けていたり、「PIXEL PRINCESS」という可愛い名前の人もいました。もちろん「PRESIDENT」とかは書けないんですけど、自分の役割を表すタイトルであれば、好きなように決めて良かったんです。
宮川:ある意味試されてるってことですよね。自分が組織の中でどう見られたいのか、どういう位置づけで仕事をしたいのか、どういう能力を発揮したいのかがその肩書きで主張できるんだから。それはお遊びに見えて、実はかなり勝負の場だと思う。
手島:そうそう。勝負でもあるし、なりたい自分になれる、自己実現みたいなものが行われているとも捉えられますよね。これは会社にとってはコストゼロだし、おもしろい取り組みだなと思いました。
――先に出た(第1回)社長に意見する新入社員のお話もそうですが、そんなピクサーの環境にいたら「上の命令だからとりあえず従う」というマインドが薄れるのも自然な流れに思えますね。
手島:ええ、日本の一般的な会社だったら僕はかなり扱いにくい存在だろうなと思うんだけど、こんなふうにピクサーで培ったスタンスや考え方を伝えていくことも、今の僕に提供できる価値かなと思っています。
会社の目的は数字だけじゃない――価値創造を軸にした経営とは
――日本の会社に戻ってみて、改めて日本企業に対して感じることなどはありますか?
手島:そうですね。会社が大きくなればなるほど、中期経営計画や経営方針なんかがあまり現場に即していないのかもしれない、とはすごく感じます。
宮川:それはどういうこと?
手島:なんて言ったらいいんだろう。現場の人間にしかわからないことってけっこう多いと思うんです。僕は現場の人間として、会社が上げている利益以上に、世の中に価値をつくっている実感がすごくあるんですよ。数値目標として利益やROEが重要なことは今回の宮川先生の本でも改めて認識したんですが、経営計画を立てている人たちが数字だけを見たり、現場が感じている価値を知らないのはちょっともったいないのかな、と。
宮川:なるほど。手島くんが言う通り、会社にとって、ROE目標を達成するよりももっと大事なことは現場にあるのかもしれないですね。「うちの会社は何を目指しているんですか?」と社員から聞かれたときに「3年後にROE8%を達成することです」「営業利益率10%が目標です」じゃ、たしかにもったいない。
手島:僕らがつくっている価値が、世の中に受け入れられて黒字の利益が出ているわけだけど、その「お金」って副次的なものだと思うんですよね。生み出している価値そのものをもっと高めるにはどうしたら良いか、もっと良い価値をつくるためにはどうすればいいか、みたいな視点は本当は大会社の経営陣こそ知りたがっているはずで、上手く伝わるといいなと思っています。僕自身、明確にどうしたらいいのか、答えが無い状態ではあるんですけど……。
宮川:それは非常におもしろい話です。確かに現場にいる社員は、PBRが1倍割れていようが、ROEが低かろうが、自分の仕事が何らかの価値を生んでいる実感を持っているものです。トムソンにいたときの僕のチームも、クライアントと直に接しながら自分たちは世の中になにか良いことをしているという自信に溢れていました。その実感は売上目標を達成することよりずっと仕事の満足度が高い。だから「もっと良い仕事しよう」と努力する。
手島:そうなんですよ。
宮川:今回の本の中に書かれているんですが、僕が外国人上司に向かって自分のチームの価値をプレゼンして戦うシーンが出てきます。そういう自信を持った現場の社員って今の日本企業にもたくさんいるはず。経営計画にROEの目標数値を掲げることは、それはそれでいいんだけど、ROEは当社の事業にとって何を表現するための代理変数なのか、その目標を達成したらなにが起きるのか、経営者は株主だけではなく現場の社員にきちんと説明できなければならないと思います。
手島:そうそう。せいぜい「その数字を達成できたらあなたの雇用が1年確約されますよ」くらいのことしか言えないじゃないですか。
エド(エドウィン・キャットムル。ピクサー初代社長)は、「いま駄作を世に出せば人々はずっと忘れないが、一年延ばして良い作品を出すことが出来れば、誰も一年延びたことなんか忘れてしまう。だから、良い作品にできるまで制作をつづけるんだ」と言っていました。「今年出さないと穴が空いちゃうから駄作でも出す」なんて選択を簡単にはしない社長だったと思います。
その決断の背景には、「世の中に良いアニメーションを届けることが会社の目的だ」という強い思いがあったと思うんですよね。決して「今年赤字を出さない」ことが目的ではないわけです。企業の経営者として「会社を継続させなくてはならない」という重責もあるにもかかわらず、その姿勢を貫いていたのはすごいなと思いました。
先生が今回、本のプロローグで書かれているのもそういうことですよね。
宮川:そうですね。今回の本は楽しみながらも実はずいぶん苦労して書いたんだけど、こうやって手島くんといろいろ話していると、改めて書いてよかったなと実感できてうれしいです。
手島:僕もだいたい伝えたいことは言えた気がします。今日もすごく楽しかったです。
――お二人とも、本日はありがとうございました!
(本記事は、『ファイナンス学者の思考法 どこまで理屈で仕事ができるか?』に関する対談記事です)