世間では「働き方改革」とかいわれているけれど、ぼくの会社は「昭和」から抜け出せていない。
早出、休出、深夜残業、サービス残業。そしてパワハラ、セクハラ、カスハラ。
どこにでもいる平凡な会社員の日常を描いた、5分で読める気軽なショートストーリーです。
通勤中や休憩時間に読んで、クスっと笑ったり、ホロっと涙ぐんだりしてください。
(この記事は、『ぼくは今日も定時で帰る。仕事に疲れたあなたを癒す44の物語』まひろ(ダイヤモンド社)からの抜粋です)

凍てつく寒さの公園で
12月28日、23:30。
カタカタカタカタ…
「…あと少しです」
ぼくは部下のYくんと深夜残業をしていた。
必死にパソコンをタイピングする部下をぼくはとなりで見守っていた。
いや…見守るしかなかった。
さかのぼること1ヵ月前。Yくんから声をかけられた。
「今、いいですか?」
「どうしたの?」
心なしか表情が暗い。
「A社で品質トラブルが起きました。しかも再発です」
「マズいね…こっちのミス?」
「はい。ウチの技術部で対応が漏れていたようです」
思わずこめかみに手を当てた。
大手のA社は品質にめっぽう厳しい。
「忘れました」では済まないだろう。
「…説明にいかないとね」
「はい。技術部にも連絡しました。来週、お客さまを訪問します」
1週間後。A社を訪問する1時間前。
オフィスにやってきた技術部のメンバーと最終の打ち合わせをした。
「本日の説明ですが~」
技術部のS課長が内容を説明する。
(…おかしい)
ぼくは説明をさえぎった。
「あの…聞いていた話と違いませんか?」
今回の件はこちらのミスだ。
「やる」と約束していた対策を漏らしていた。
でも資料には「手違い」とある。
天と地ほどニュアンスが違う。
S課長がフッと笑った。
「ミスと言う必要はありません。大事になりますから」
「…Yくんの認識は?」
「…」
彼は下を向いた。
(技術部に押し切られたか…)
内心でくちびるをギリッと噛む。
もう一度、S課長と向き合う。
「ごまかしているようにしか見えません。正直に話すべきです」
「お客さまは気づきませんよ」
「そういう問題じゃないでしょう!」
イラッとした声を上げたぼくをS課長はジロリとにらむ。
「それにこの資料はもうYくんからA社に送っています。今さら差し替えられませんよ」
言葉につまった。
「ご心配なさらず。我々がしっかり説明しますから」
S課長は自信マンマンだ。
「せめて最初にお詫びを…」
「…まひろさん。遅刻します」
Yくんが割り込む。タイムアウトだった。
モヤモヤしながら顧客を訪問すると、会議室には品質担当のT部長を中心に5名ほどが座っている。
我々が着座していきなりT部長が口火を切った。
「ふざけてるんですか?」
T部長は凍りつくような視線でぼくらを見回した。
「これは再発ミスですよね? なのにこの資料には『手違い』と書いてある。防止策の記載もない」
S課長があわてて答える。
「いえ。そういう訳では…」
「これは品質問題ですよ。それも再発だ」
痛いところを衝かれる。
「不誠実な資料にあきれました。話を聞く気になれません」
シーーン。
全員が押し黙った。
「何か言ったらどうですか?」
自信マンマンだったS課長は…ピクリともせずジッと下を向いている。
(クソッ…)
このまま黙っている訳にもいかない。
やむなくぼくは口を開いた。
「誤解を招いて申し訳ありません。これには訳が…」
「誤解では無いでしょう。御社では『ウソ』を『手違い』と言うのですか?」
グゥの音も出ない。
「…申し訳ありません。責任をもって対応いたします」
T部長の眉がピクッとした。
「御社の商品はうちのビジネスに欠かせない。1兆円の事業に使っています」
貫くような目つきでぼくを見据える。
「『責任をもって』と言いましたね。あなた、1兆円払えるんですか?」
…何秒か言葉を失った。ムリやり声を絞り出す。
「…軽率な発言でした。申し訳ありませんでした」
ただ謝ることしかできない。
ガチャ。
T部長が席をたった。
「これ以上話すことはありません。後は部下と話してください」
スッとT部長が退出してお通夜のようなムードになる。
T部長の部下がこちらを見た。
「…誠意のある内容を報告してください。年内に完了しないと…取り返しがつかないことになります」
「…急ぎ対応します」
全員で頭を下げる。
S課長と技術チームは…最後まで一言も発しなかった。
帰り道。ようやくS課長が口を開く。
「いやぁ…予想外でした」
思わずグーパンが飛びかけた。
S課長にも…資料の確認をサボった自分にも、腹が立って仕方がなかった。
その日からYくんとぼくは...想像を超えた苦難の渦に飲み込まれる。
地獄のものがたりはまだ幕すら開いていなかった。
A社からスゴスゴと帰ったあと。
部下のYくんは猛然と動き出した。
(自分のせいだ)
悲壮なオーラをまといつつ…対策の調整に駆け回る。
そして2回目の訪問。
こちらも上司のK部長が同席した。
「前回は申し訳ありませんでした」
全員で頭を下げてから説明を開始する。
「対策は以上です」
Yくんの説明を最後まで聞いたあと、T部長は静かに口を開いた。
「これでは了承できません。K部長だけ残ってください」
やむなく我々は外で待機する。
10分…20分…
ガチャリ。
K部長が会議室から出てきた。
「…何を言われましたか?」
「今は知らなくていい。ただ直すべきことがある」
有無を言わせぬ口調だった。
「年内に目途をつけるぞ」
「…はい」
(何を言われたんだろう)
モヤッとしつつも…できることをやるしかない。
K部長のアドバイスを受けながら、年内に間に合わせるべく全力を尽くす。
そして年末の最終日。
「最終レポートができました」
技術部からの連絡を受けて、内容を最終チェックするオンラインミーティングが開かれた。担当者がつらつらと中身を説明していく。
「対策の報告は以上です」
技術部門からの説明を聞いた後、Yくんが気まずそうに口を開いた。
「…かなり修正が必要ですね」
確かに、急いだせいか内容が粗い。
すると技術部のメンバーが口を開いた。
「…今日は修正ができません」
「は? 期限は今日ですよ」
あぜんとするぼくらに対して彼らは申し訳なさそうに口を開いた。
「今月の残業がもう上限なんです。後は営業で対応をお願いします」
「無茶言わないでください!」
Yくんが思わず声を荒らげる。
「ルールなんです」
「S課長に対応してもらえませんか?」
初手を間違えた張本人がいないことに気づいてイラッとしながら問いただす。
「S課長は有休なんです…申し訳ありません。失礼します」
プツッ。
接続が切られた。
(マジかよ…)
やむなくYくんとぼくは2人でレポートを仕上げにかかった。
20時…21時…
資料のアラが多すぎてなかなか終わらない。
そして22時。
タイムリミットが来た。もうこれ以上は規則で働けない。
(お客さんに“遅れます”と謝ろうか…)
そんな考えが脳裏をよぎったとき。
Yくんが口を開いた。
「意地でも今日中に出します」
彼は覚悟を決めていた。
「諦めよう」と言っても…Yくんは1人でやるだろう。
でも会社には残れない。
「いったん外に出よう」
仕事ができる場所を探したけど…
年末の最終日。
22時過ぎだと場所がない。
「あそこでやりましょう」
やむなく会社近くの公園にいく。寒空の下、2人で残業を始めた。
カタカタカタカタ…
Yくんがレポートを仕上げにかかる。
「ココの表現、どう思います?」
「これでいいよ」
必死にパソコンに向き合うYくんを、ぼくはとなりで見守っていた。
(寒いだろうな…)
Yくんは素手でパソコンを叩いている。
ぼくは見守ることしかできなかった。
もう分担できる仕事はなかったのだ。
タン! Yくんの指がキーボードの上をはねた。
「レポート送りました! 届いてますか?」
ぼくがメールボックスを確認すると、
【不具合レポート(最終)のご報告 23:58】
ギリのギリだけど期限内にレポートは届いていた。
「ちゃんと届いているよ」
「良かったです…」
凍えた手でハイタッチをする。
Yくんは目元を押さえていた。
そして年明け。上司のK部長から声がかかった。
「T部長からの伝言だ」
「姿勢を見ていました」
T部長はこう伝えたらしい。
“信用に足る姿勢かどうか”
T部長はそこだけ見ていたそうだ。
K部長はつぶやいた。
「苦しいときこそ見られている。思い出さないといかんな」
技術部はミスを隠そうとした。
Yくんは押し切られた。
ぼくはフォローを怠った。
苦しいときこそ見られている
上から下は見えているのだ
小さなミスが積み重なり大惨事になってしまった。
誠実が一番の近道。改めて思い知った出来事だった。
ぼくはYくんに声をかけた。
「あのときは気が利かなくてごめんね。お汁粉でもおごればよかった」
Yくんは真冬の公園で素手で仕事をしていたのだ。
見守る以外にもできることがあったと反省する。
Yくんは笑っていた。
「まひろさん、甘党ですからね」
何より自分が飲みたかったとバレている。
下から上もお見通しらしい。
ボクダケ?
(この記事は、『ぼくは今日も定時で帰る。仕事に疲れたあなたを癒す44の物語』まひろ(ダイヤモンド社)からの抜粋です)