雪がよく降る地方の人たちは、雪に関する多くの種類の言葉を持っていると言われている。北極圏に住むエスキモーは、日本語にはないような言葉を含め、雪を表現する言葉が数多くある。

 で、ここから本題である。雨や雪に関するような言葉を多く知っている人。逆にあまり知らない人。それぞれの人が観光地などに行き、自然豊かな環境に対峙した場合、どのような印象や感覚をもつのか。

語彙が豊かになると
感動が倍増する

 自然に対する言葉を多く持っている人のほうが、圧倒的に深い面白みを感じることだろう。一方で、目の前の自然に興味や面白みをもてなかった人は、自分がなぜそのような感情になっているのか、気づいていないことも多い。

 なぜか。ひとつには、雨といったらザーザー降るもの。雪といったら、白くてサラサラなものといった具合に、自分の中で目の前の対象物をこうだ、と決めつけてしまっているからだ。いわゆる「バイアス」である。低い解像度で世界を見て、判断してしまっている。

 世界を見て、面白くないと感じる時は、対象に問題があるのではない。自分が観察をやめて、観察をする前から、既存の知識で判断してしまって、毎回同じ結論に達してしまっているというサインだ。

 仕事、ビジネスシーンでも同様だ。僕は日々、作家と打ち合わせしているわけだが、以前の僕は作家の心境を「売れっ子になりたい」「ヒット作を打ち出したい」と限定していた。まさに思い込み、確証バイアスである(編集部注/仮説を肯定するため、無意識に自分の都合がよい情報ばかりを集めてしまうこと)。

 だが、観察力を高める旅を続けていることで、実はこのような心境の作家ばかりではない、ということに気づくようになった。たとえば、新人の作家だったら売れる・売れない以前に、自分はこれから本当に、作家としてご飯を食べていくことができるのか。そのような思考にとらわれていて、どうやったらヒットするのかを考える余裕がまだない作家もいることに気づいたからだ。

 さらに今となっては、もっと別の理由でクリエイティブな仕事に従事している人がいることも、実感をもって理解できるようになった。