仮説とは、頭の中のモヤモヤしたものが、やっと言葉になったものだ、と言うこともできる。だから、あえて言葉にしようとする。仮説は言葉から始まる。そして、僕は言葉の力を信じている。

 人間は、身体の全てを使って、世界を感じとっているが、言葉だけが意識的に使えて、コントロールできる道具だ。言葉にするからこそ、暗記をして、整理することができる。言葉にして頭の中で整理するからこそ、解像度が上がる。言葉とは、人間が唯一、時空間を超えて、携帯できる武器だと思っている。

見たものを言語化すると
「解像度」が深まっていく

 見たものをとにかく言葉にする。言葉にしていると、自然と問いが浮かび上ってきて、仮説が生まれる。

 観察には仮説が不可欠だが、何も思い浮かばないときは、言葉にすることだけを目的に観察を始めるといいと考えているのだ。

「牛乳を注ぐ女」は、オランダ黄金時代の画家ヨハネス・フェルメールが1657年頃に描いた絵だ。この絵には何が描かれているのか。愚直に言葉にしてみる。

 目に入り、印象が残る順に言葉にする。細部も言葉にしていく。

「絵の真ん中にメイドの女性が立っていて、台座のようなテーブルに置かれたずんぐりとした陶器に、両腕を使って牛乳をていねいに少しずつ注ぎ入れています。テーブルにはエメラルドグリーンのテーブルクロスがかけられていて、様々なパンがのっています。

 ちぎれたような小さなサイズのものもあれば、バスケットの中に大きなサイズのパンもあります。また、銀製のポットのようなものも置かれています。牛乳を注ぐ女性は白い頭巾を被っていて、髪は頭巾の中に収められています。上は肘までまくり上げた黄色い分厚い作業着を着ていて、下は赤茶色のスカートで腰に青いエプロンを巻いています。