全ての学びは、「真似る」から始まる。他の人がどのように「牛乳を注ぐ女」を見たのか、情報を集めるのも効果的だ。
この本を執筆するにあたり、「牛乳を注ぐ女」というワードでGoogle検索をして、驚いた。GoogleArts&Cultureというサービスによって、有名な絵のかなり多くがディスクリプションされ、代表的な解釈が紹介されている。
このサービスを使って、他の人は、どんなふうに絵を見ているかを知り、他人の視点をメガネとしてかけてみればいい。ここでは、他人の解釈を確認する見方をするのではなく、その解釈に反論や賛成をする論拠を探しにいく姿勢で見るといい。
大事なことなので何度も繰り返すが、仮説があると、答えを探すつもりで見ることになるので、主体的に見ることにつながり、観察が進む。外部情報なしにディスクリプションをして仮説を作ると、思い込みの強い仮説が生まれるので、面白い発見にはつながるかもしれない。
しかし、これは独りよがりで、観察のサイクルが止まるリスクもある。そんなときに有効なのが、外部の情報、他者の評価を仮説にして観ることだ。

佐渡島庸平 著
たとえば、僕は映画を観るとき、予告編とあらすじをチェックし、自分なりに仮説を立てる。「おそらくこういうタイプの、こういうストーリーの映画なんじゃないか」と見始める。たとえ「つまらない」といわれるような映画でも、そこに仮説と作品のギャップが生まれてくる。すると、「自分はこんな映画だと予想したけど、こう来たか」とズレを楽しむことができる。
自分を楽しませてもらおうと、受け身の姿勢で作品を味わうと、がっかりすることが増えてしまう。
クリエイターと自分の思考の差は、なぜ生まれたのだろう?という問いは、尽きることがない。尽きることがない問いを抱えていると、作品を楽しみやすくなる。
映画によっては、他の人のレビューをいくつも読んでから、観にいくこともある。他の人のレビューと自分のズレを観察することで、その作品への理解が深まるからだ。
他者の評価を読んでしまうと、それが正解で、その見方に合わせようとしてしまう人がいるが、他者の評価は、仮説として借りるだけ。それに反論するぐらいの気持ちで観るほうが、いい観察になるだろう。