絵を見るのは一瞬だが、描くのは何十時間もかかる。下手するともっとだ。ちょっとした描写も、なんとなく描かれたわけではない。作者が何らかの意味を込めている。

仮説というメガネをかけると
新たな気づきや発見が生まれる

 キューピッドに込められている意味はなんだろうか?ここで、仮説が思い浮かぶ。

「女は誰かに恋をしているのではないか?それとも、女は誰かに恋をされている?」女と恋が関係しているという仮説をもって、絵を観察し直してみるとどうだろう。恋にまつわる情報は他にないだろうか?

 メイドということで作者は何かを伝えようとしているのだろうか?仮説があると、その証拠を探す探偵のような眼で見ることになる。

 タイルの前にある木の箱はなんだろう?その中に何か置いてあるが、それは何なのか?絵だけでは読み解けない疑問も湧いてくる。

 どんなものでもいいからディスクリプションをしてみると、仮説が思い浮かぶ。そして、その仮説をメガネとして、再度見直す。すると、今まで気づかなかったことに気づき、新たな問いが浮かんできて、仮説を更新できるのだ。

 多くの人は、見たいという欲望をもつ。雑誌の袋とじは、なぜか中身を見たくなる。でもそれを買って、家でじっくり見る人はほとんどいない。少し見るだけで、もう「知っている」「わかっている」と、それ以上の欲望をもつことをやめてしまうのだ。

 そのような「見ているようで見ていない」から脱却し、観察力を上げるための第一歩。それは、まず「言葉にしてみる」こと。見ているものを言葉に置き換えることで、仮説が思い浮かびやすくなるだろう。

 頭に浮かぶ漠然とした印象という「抽象」的なものを、言葉という「具体」に一度、落とし込もう。そして、その具体の集合から、作者の意図などの「抽象」を推測する。

 こうした「抽象→具体→抽象」の作業を繰り返すことで、観察の質は上がる。言葉を使うことで、自分の観察のいい加減さを自覚できる。自覚すると、人は次の一手を打つことができる。

受け身の姿勢では
「がっかり」が増える

 ディスクリプションをして、自分ならではの仮説を思いつき、絵を見るのがどんどん面白くなれたならいいが、何も思いつかなかった人もいると思う。そんな時はどうしたらいいか。