マナーが崩壊消失しているのではなく、マナーの変容?
従って、公共の場でのハナホジ現象を「マナーの崩壊だ!」と断じるのは早計かもしれない。好き嫌いで言えば、もちろん私も好きじゃない、です。でも我々が目撃しているのは、好き嫌いを超えた、社会規範の再編成過程なのではなかろうか。
デジタル化が加速度的に進む社会では、技術の進化スピードが社会規範の更新速度を上回っており、その差分が「マナーの空白地帯」を生み出している。「携帯通話は車内ではお控えください」となってマナーモードという技術的解決が提供されるまで少々時間がかかったように、新技術の登場から社会的合意形成までには、常にタイムラグが生じるのだ。
一方で、デジタル空間では新たな形の配慮や礼儀(ネチケット)が生まれている。SNSでの「スポイラー(ネタバレ)警告」や「トリガーワーニング(ネット上の投稿や写真などが不快な感情や記憶を思い起こす可能性があるとの警告)」といった配慮は、従来の対面コミュニケーションには存在しなかった新しいマナーだ。マナーは消失しているのではなく、変容していると捉えるべきかもしれない。
注目すべきは、従来の日本社会では「察する」こととその能力が重視されたが、グローバルかつデジタルな社会ではその逆で、「明示する」文化が台頭している点である。最近増えている「満席です」「(他店の)飲み物の持ち込みはご遠慮ください」「ここに座って飲食しないでください」「ゴミを捨てないでください」といった、禁止事項を描いたピクトグラムや貼り紙は、日本の“常識”を理解していないインバウンド客を対象としたものだ。日本のようなハイコンテクスト文化が明示的コミュニケーションへシフトしていくのは、グローバル化とデジタル化の必然的帰結とも言える。
そんなわけで、デジタル時代のマナーは、多様性を包摂しつつも共存のための新たな規範を明示方向で模索する段階にある……と言えるのではないだろうか。ひとまずこの記事では、世の中にマナーとして明示的に問題提起したい。
美女もイケメンもマジで台無しになるんで、車内のハナホジはさすがにやめません?