世間では「働き方改革」とかいわれているけれど、ぼくの会社は「昭和」から抜け出せていない。
早出、休出、深夜残業、サービス残業。そしてパワハラ、セクハラ、カスハラ。
どこにでもいる平凡な会社員の日常を描いた、5分で読める気軽なショートストーリーです。
通勤中や休憩時間に読んで、クスっと笑ったり、ホロっと涙ぐんだりしてください。
(この記事は、『ぼくは今日も定時で帰る。仕事に疲れたあなたを癒す44の物語』まひろ(ダイヤモンド社)からの抜粋です)

潰れそうだったぼくを支えてくれた上司の一言Photo: Adobe Stock

無条件の信頼ほど心強いものはない

お客さまとの商談で。

「新商品を採用します」
「ありがとうございます!!」

ぼくは20代で地方に左遷された。

上司に弱点を指摘され苦戦する。
しばらく自分に向き合う日々が続いた。

そして2年後。ぼくは波に乗っていた。
大型の契約を次々にゲット。

朝の5時から夜の9時まで働いても疲れ知らず。
順風満帆な日が続くと…疑いもなく信じていた。

2ヵ月後。お客さまから連絡がくる。
「…不具合が出ています」

採用された新商品のサンプルがエラーを起こす。
急いで原因の調査を開始した。

1週間後。エンジニアから連絡がくる。
「どうやら海外から仕入れている材料のせいですね…」

原因は分かったけれど…なかなか対策が進まない。
海外メーカーの対応は遅いのだ。

「すぐ説明にきてください!」
顧客からは猛烈に急かされていた。

担当のG役員が怒っているらしい。

ただ…地方の営業所には役員に釣り合う人などいない。
部長のUさんが東京から駆けつけて一緒にG役員を訪ねた。

「原因が分かりました。これから調査を進めます」

「いつまでに直るのですか?」
G役員が口を開いた。

「…まだ分かりません」
ぼくが正直に答えると…

怒声が会議室を切り裂いた。
「何を悠長なことを言ってるんだ! そっちが『ぜひ!』と言うから採用したんじゃないか!」

G役員の凄まじい怒気に場が凍りついた。
「こっちには予定があるんだ。今すぐエンジニアを連れて海外に行ってこい!!」

血の気が引いた。

そして…思わず口を滑らせる。
「分かりました。すぐに手配します!」

そのとき。U部長がぼくを制止した。
「申し訳ありません! 今の発言は撤回させてください」

そしてガバッと頭を下げて
「私が責任を持ってフォローします。少しお時間をください」

G役員は渋い表情をして…ぼくらに言い渡す。

「…毎日です。こまめに報告してください」
「わかりました」

打ち合わせが終わったあと。
U部長がぼくを見た。

「いいか。どんなに苦しくても安請け合いはするな。ゼッタイにだ」
「…すいませんでした」

危うくできもしないことを約束しかけた。

未熟さに落ち込みつつも…
U部長から大切なことを学ぶ。

「厳しい対応になるぞ」
「…はい」

U部長は約束どおり全力でこのトラブルをサポートしてくれた。

にもかかわらず…事態は混迷を極めていく。

人生でもっとも苦しい最凶の3ヵ月はまだ幕を開けたばかりだった。

不具合発生から2ヵ月後。お客さまの会議室で。

「明日も8時に来てください」
「…はい」

ぼくはボロボロだった。
原因である海外メーカーとのやりとりにとかく時間を要する。

一方でお客さまは容赦ない。
進捗があろうとなかろうと…朝の8時に訪問して報告をする。

毎朝、極度のプレッシャーにさらされた。
ようやく夕方に解放されて会社に戻り通常の業務をこなす。

毎朝、コンビニでリポDを買う。
月の残業は140時間を優に超えた。

自分だけではない。社内もきしみ始める。
エンジニア部門の対応が遅れ始めたのだ。

「明日の回答は間に合わない。無理だ…」

「…そんな。明日までに報告しろと言われているんです!」
ぼくが思わず声を荒らげると…

「他社でもトラブルが出た。そちらも火を噴いてるんだ…」
エンジニアのつぶやきに…ぼくは絶句する。

「こっちも限界なんだ。分かってくれ」
ガチャ。
一方的に電話が切られた。

(…どうすればいいんだよ!)
世界を呪った。

そんなある日。いよいよ仕事が回らなくなり、ぼくは23時過ぎにレポートを発行した。

「お客さまが怒っています!」
「もっと迅速な対応を!」

現場の叫びをメールに打ち込む。

翌朝。上司のU部長から返信が来ていた。

「同行できず済まない」
「レポートはいつも見ている」
「おれも社内をプッシュする」

U部長は何度も東京から足を運んでくれていた。

そして最後のメッセージを読んで…ぼくは泣いた。

「おまえの判断はすべて正しい。責任はおれが取る。正しいと思った事をやってくれ」

(…がんばろう)
ボロボロと涙がこぼれた。

そして1ヵ月後。
ついに朗報が届く。

「対策ができた」
「99%は大丈夫だと思う」

(助かった…)
ようやく地獄から解放される。

翌日。お客さまを訪問して会議室に入ると…3ヵ月前に怒声を放ったG役員が現れる。

そしてぼくに難問を突きつけた。
「100%、大丈夫なのですか?」

…1ミリのあいまいさもないシンプルな問いだった。

「大丈夫、と言い切れないなら商品をすべて修理します。費用に1億円はかかります」
1億…思わず息をのむ。
「大丈夫なら修理は止めます。その代わり」

「販売してから問題になると…50億。いや...100億はかかりますよ。そのすべてを請求します」

G役員はチラリと時計を見た。
「15分以内に指示が必要です。この場で判断してください」

こちらにはぼくしかいなかった。

「相談する時間を…」
「待てません」

100%の1億か?
1%の100億か?

究極のロシアンルーレットを迫られた。

「正しいと思った事をやってくれ」
U部長の言葉を思い出す。

ぼくは震えながら答えた。
「修理は…要りません」

対策には筋が通っていた。エンジニアを信じる。

「…その旨をこの場でメールしてください」
「はい…」

その場で証拠のメールを送らされ、ぼくは会社に戻った。

「なんで相談しなかった!」
一部の人から非難を受ける。

でもU部長は...

「分かった。それでいい」
カケラも怒らなかった。

それからしばらく電話に怯える日が続く。

「市場で不具合が出ました」
夢でもうなされた。

1ヵ月…2ヵ月が過ぎた。
そして3ヵ月目にU部長とお客さまを訪問する。

「…大丈夫なようですね」
G役員の口調がわずかに緩んだ。

このときの心境を思い出すと今も感じることがある。

人が真の苦境に立たされたとき。
心を救ってくれるのは同情でも励ましでもなくて“無条件の信頼”なのだと。

「おまえの判断はすべて正しい」

先の見えない過酷な環境でこの一言がなければ…ぼくは潰れていただろう。

無条件の信頼には心を動かす力がある

今まさに苦労している人に何をすべきか?
U部長に教えられた瞬間だった。

10年後。U部長が定年を迎えたとき。

「あのときは大変だったな」
「…本当にありがとうございました」

送別会で酒をくみ交わす。

その日は珍しく日本酒を飲み過ぎてぼくは駅で2回も降り損ねた。

夜の12時。
目が覚めると妻から着信の嵐。

無条件の信頼はどこにも無かった。
ハンセイ

(この記事は、『ぼくは今日も定時で帰る。仕事に疲れたあなたを癒す44の物語』まひろ(ダイヤモンド社)からの抜粋です)