いかりや 何となく年中そういう中に自分をおいておきたい。だから、それがもし、来る日も来る日も連続としますよね、ぼくにとって快楽の連続になるわけね、歓喜と快楽の。

悠木 いつも魂が揺れ動いていてさ、何かに触るとフワーッと花開くみたいな状態をいつも持っておきたい、ということなんですかね。それは長さん、やっぱりほんとうに人間として出来がいいんだわね。

踊り狂って死人が出る
1年働いたお金を全部使う祭りとは

いかりや いや、そうじゃないよ、そうじゃないって、だってさァ……。

悠木 素直にそうやって……。きっと実にいい往生できるよ、長さんは(笑)。

いかりや リオのカーニバルって聞いたことあるでしょう。あれ、踊り狂って死人が出るって話も聞いたことあるでしょう。そのお祭りが待ち遠しくて、1年働いたお金を全部使いはたしちゃう。

 何となくそういうもの理解できるし、ハッピーな生き方だと思うでしょう。ぼくもその程度の知識はあった。それで、いざ行ったわけですよ。始まったんですよ、カーニバルが。そうしたらね、涙がとまらないんですね。

悠木 すてきですね。

いかりや長介が感激した一大イベント「涙が出ちゃって止まらない」「初めて見た時、引っくり返っちゃって」『人生、上出来 増補版 心底惚れた』(樹木希林、中央公論新社)

いかりや あんなの見たことないですよ。日本人の理屈で、そうか、そういうやつもいてもいいじゃないか、というんじゃないんですよ。その中にバッと入ってみたら、眼が合うわけよ。ところが、だれかれかまわず、見ると、日本だったら「あけましておめでとう」みたいなもので、だれかれかまわず眼が語りかけてくる。どんな名優でも……ああいう眼の芝居っていうのは日本の芝居には必要ないんじゃないかな。

 そういう生き方がないから。それをはじめて見たとき、まあ引っくり返っちゃって、それを見た喜びとで、何だかわからない、涙が出ちゃってとまらないの。そういう自分もはじめてなんですよ。

悠木 やっぱりそれは国のたちもありますね。だから、きっとそういう国はゴルフのコンペでいちばんになった人を、ほんとにみんなで祝福すると思うのね。

 日本って、そういう祝福する人たちをちゃんと冷たく見ている人たちが必ずいるのよね(笑)。

樹木希林
1943(昭和18)年1月15日東京生まれ。女優活動当初の名義は悠木千帆、77年に樹木希林と改名。61年文学座附属演劇研究所に入所、テレビドラマ『七人の孫』で森繁久彌に才能を見出され、『時間ですよ』『寺内貫太郎一家』『ムー』などの演技で人気女優に。出演映画は多数あり、代表作に『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』『悪人』『わが母の記』『万引き家族』などがある。2008年に紫綬褒章、14年に旭日小綬章を受章。61歳で乳がんにかかり、70歳の時に全身がんであることを公表した。18年9月15日逝去、享年75。夫はロックミュージシャンの内田裕也(19年3月17日逝去)。
いかりや長介
1931(昭和6)年11月1日東京生まれ。戦時中静岡県に疎開。工員などを経て上京、ミュージシャンを目指してバンド活動を行う。62年ザ・ドリフターズに加わり、64年からリーダー。69年から始まったテレビ番組『8時だョ!全員集合』や『ドリフ大爆笑』で人気を博す。その後、存在感のある俳優として活躍。99年、映画『踊る大捜査線 THE MOVIE』で日本アカデミー賞最優秀助演男優賞を受賞。2004年3月20日死去。享年72。対談当時は44歳。私生活では3回結婚をしている。1人目の妻とは対談から2年後の78年に離婚。2人目の妻は79年に結婚、89年に死別。3人目の妻とは93年に結婚。