きっかけは、52歳の時に東京本社の経済部長への転勤内示を受けたことでした。世にいう栄転でありながら、長く大阪で培った記者としてのネットワークを失うことや、独り暮らしをしている母親のことを考えると、転勤は断りたい。

 しかしそれでは、長年自分を育ててくれた会社の命令に背くことになる。退職することも頭に浮かぶものの、まだまだ自宅のローンを抱える身。その悩む姿を見た妻が「辞めてもいいよ」と背中を押してくれたことから、竹原さんは内示の2日後に辞表を書きました。

思いがけない
メンターとの出会い

 竹原さんが凄いのはここからです。彼は転職先を探すのではなく、在職中に出会った中小企業や零細企業の魅力的な社長にスポットをあて、「“日本一”明るい経済新聞」の創刊を決意します。

 その根底にあったのは、「頑張っている中小・零細企業を応援したい」という社会貢献の思いであり、暗いニュースを報じがちなマスコミとは違って、前向きなニュースを届けることで社会を明るくしたいという気持ちでした。

 社会貢献の思い、迷った末の辞表、見守る家族との対話、新たな仕事への取組み、記事の一つひとつが心にしみました。『自分の求めていることのヒントがこの記事にあるのではないか』と感じました。迷いの中で一筋の光明のように私を力づけてくれたのです。

 その後の私は、体調の回復を待って職場に復帰したものの、何をすればよいかがわからなくなっていました。仕事を続ける意味が見出だせなかった、と言った方が正確でしょう。

 しかし、この記事を読んだことで、自分は会社から離れて何が出来るのか見つけようとしているのだと気づきました。

 竹原さんが、中小・零細企業の社長にスポットを当て、取材して発信するという取り組みを知って、自分もそうした活動をやってみたいと考えたのです。

 そこで私は、サラリーマンとしての悩みや体験を抱えながら、会社員からまったく異なる世界へ転身した中高年へのインタビューをスタートします。

 転身した人々に会ってひたすら話を聞き始めると、自分自身がどんどん元気になっていくのを感じました。