2010年頃の私のメモがある。結婚して20年がたった頃だが、それは、こんな内容だった。

「20年前、私が宮さまに初めてお目にかかったときに、私が感じた自らの立場や家族に対して常に距離を置いてみる宮さまの冷静さ、沈着な姿勢あるいは、バランス感覚のよさというものは、年を追うごとに洗練されてきている。

 宮さまは、私の前では両陛下(当時。現在の上皇ご夫妻)のことを決まって『父』『母』と呼ぶ。皇太子さま(当時。現在の天皇陛下)のことは『兄』で、紀子さまのことは『家内』だ。一般の家庭となんら変わらない……」

 こうしたところにも、自分を「特別な存在」として見たくない、あるいは見せたくないと思う宮さまの基本的な考えが垣間見える。たとえば、こんなことがあった。悠仁さまが生まれる前のことだったと思う。再び私のメモの内容を記してみる。

「天皇陛下(当時。現在の上皇さま)が皇太子時代の1977年夏の記者会見で“皇室の伝統を見ると、『武』ではなく、常に学問でした”と発言されたことを受け、私が“やはり皇室は歴代、文化や学問など、文を尊重され、武を遠ざけてこられたのですか”とうかがった。すると、宮さまは“さあ、どうでしょうか”としばし考え始めた。宮さまは“いちがいにそうは決めつけられないのではないか。もう一度、精査して歴史を見つめる必要があるのではないのか”と、言いたいのではなかろうか」

 当時の私はそんなふうに感じていた。秋篠宮さまは、「父」であり「天皇陛下」の発言でさえも鵜呑みにせずに、もう一度、自分で考えてから結論を導き出そうとしていた。こうした姿勢に、よい意味で私は少なからず驚かされた。

秋篠宮さまが感謝した
父母が築いた「温かい家庭」

 毎年、恒例となっている秋篠宮さまの誕生日会見だが、53歳を迎える前の会見は2018年11月22日に行われた。そこで、2019年5月1日に迫った代替わりとその後の新しい公的な活動の取り組みなどについて、秋篠宮さまはこのように説明している。