“カリスマ”より“安心感”…家康がリーダーに選ばれた納得の理由
「仕事が遅い部下がいてイライラする」「不本意な異動を命じられた」「かつての部下が上司になってしまった」――経営者、管理職、チームリーダー、アルバイトのバイトリーダーまで、組織を動かす立場の人間は、悩みが尽きない……。そんなときこそ頭がいい人は、「歴史」に解決策を求める。【人】【モノ】【お金】【情報】【目標】【健康】とテーマ別で、歴史上の人物の言葉をベースに、わかりやすく現代ビジネスの諸問題を解決する話題の書『リーダーは日本史に学べ』(ダイヤモンド社)は、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、伊達政宗、島津斉彬など、歴史上の人物26人の「成功と失敗の本質」を説く。「基本ストイックだが、酒だけはやめられなかった……」(上杉謙信)といったリアルな人間性にも迫りつつ、マネジメントに絶対活きる「歴史の教訓」を学ぶ。
※本稿は『リーダーは日本史に学べ』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。

秀頼と三成では「再び戦国」の恐れ
100年以上の戦国時代を経て、平和な時代が求められていました。戦国時代は、戦になれば自分の一族や家臣が死傷し、領民の田畑も荒らされました。負けたほうの領民が、奴隷として人身売買された記録も残っています。
秀吉の天下統一(1590年)により国内では戦がなくなったものの、8歳の秀頼や人望が乏しい石田三成が国を支配すれば、また戦乱の時代に逆戻りする可能性があります。
家康の掲げた「天下の理想」と「経済的恩恵」
それに対して実力も実績もあり、なおかつ「天下は一人の天下にあらず、天下は天下の天下なり」「厭離穢土欣求浄土」といった言葉を掲げる家康が国を治めれば、平和な世の中がやってくるのではないかと、多くの大名が期待したのでしょう。
また、家康に味方すれば、経済的にも恵まれそうだという期待も多くの大名にありました。大名の収入規模を表す石高でみると、家康の255万石に対して、三成は19万石に過ぎません。
大名は戦の働きぶりに応じて石高が増えるので、家康に味方したほうが、石高の分け前が増える期待がありました。
家康の勝利がもたらした「平和と繁栄」
これも多くの大名が、家康に味方した要因です。実際、家康に味方した大名の多くは、石高を増やすことができました。
経済的にも幸せを実現した大名は、関ヶ原の戦いの14年後、江戸幕府と豊臣家との間で行われた合戦「大坂の陣」(1614~15年)で、豊臣家に味方する大名はおらず、豊臣家は滅びました。
そして、その後265年もの長きにわたる江戸幕府で、平和な時代が続いたのです。