「仕事が遅い部下がいてイライラする」「不本意な異動を命じられた」「かつての部下が上司になってしまった」――経営者、管理職、チームリーダー、アルバイトのバイトリーダーまで、組織を動かす立場の人間は、悩みが尽きない……。そんなときこそ頭がいい人は、「歴史」に解決策を求める。【人】【モノ】【お金】【情報】【目標】【健康】とテーマ別で、歴史上の人物の言葉をベースに、わかりやすく現代ビジネスの諸問題を解決する話題の書『リーダーは日本史に学べ』(ダイヤモンド社)は、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、伊達政宗、島津斉彬など、歴史上の人物26人の「成功と失敗の本質」を説く。「基本ストイックだが、酒だけはやめられなかった……」(上杉謙信)といったリアルな人間性にも迫りつつ、マネジメントに絶対活きる「歴史の教訓」を学ぶ。
※本稿は『リーダーは日本史に学べ』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。

織田信長に学ぶ「部下に厳しい上司」の末路Photo: Adobe Stock

会社は株主のもの
ではあるけれど……

部下が休むと、「なんで休むんだ」と、いまならコンプライアンスに抵触するような指摘をするような上司がいると、社員たちは萎縮し、疲弊し、顧客の気持ちを考える余裕もなくしてしまいがちです。

そういう組織は、往々にして社員の定着率が低く、有能な人材が他社に流出してしまいがちでもあります。

会社は株主のものではありますが、一方で実質的に収益を生み出す社員のものという一面もあると思います。

そういう見地からすると、社員が幸せになることが、世の中に価値ある商品やサービスを提供することにつながり、その見返りとして収益を得られ、会社を繁栄させるというのが真理だと思うのです。

部下に厳しい上司の末路

織田信長にしても、安土城の女房たちを少し持ち場を離れて遊びに出かけただけで、関係者を含めて処刑した翌年、明智光秀によるクーデターである本能寺の変で亡くなります。

明智光秀がクーデターを起こした動機は永遠の謎とされていますが、部下に厳しい信長の姿勢が光秀の反乱につながった可能性はあります。

実際、織田家の筆頭家老・佐久間信盛(1528~82年)は、長年、信長に仕えてきたにもかかわらず、本能寺の変の約2年前に突如追放され、高野山(和歌山)などで放浪した後、死去しています。

実力のある人ほど
部下の気持ちに寄り添う

『信長公記』によると、信長は19か条もの痛烈な批判を込めた「折檻状」を信盛に突きつけています。これは事実上の解雇通知ともいえますが、10年近く前に佐久間が戦で負けたこと、信長に素直に従わなかったことを追放の理由としてあげています。

長年仕えた重臣でも、過去の失敗を許すことなく追放する信長の姿勢は、功績をあげている明智光秀のような武将でさえ、「いつかは自分も佐久間と同じように追放されてしまうのではないか」と考えて、クーデターに向かわせたとも考えられるでしょう。

頑強な人が悪いということではありません。むしろ、たいへん素晴らしいことです。ただ、そういう人ほど部下の気持ちを考え、人材の扱いには注意が必要だということです。

※本稿は『リーダーは日本史に学べ』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。