「仕事が遅い部下がいてイライラする」「不本意な異動を命じられた」「かつての部下が上司になってしまった」――経営者、管理職、チームリーダー、アルバイトのバイトリーダーまで、組織を動かす立場の人間は、悩みが尽きない……。そんなときこそ頭がいい人は、「歴史」に解決策を求める。【人】【モノ】【お金】【情報】【目標】【健康】とテーマ別で、歴史上の人物の言葉をベースに、わかりやすく現代ビジネスの諸問題を解決する話題の書『リーダーは日本史に学べ』(ダイヤモンド社)は、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、伊達政宗、島津斉彬など、歴史上の人物26人の「成功と失敗の本質」を説く。「基本ストイックだが、酒だけはやめられなかった……」(上杉謙信)といったリアルな人間性にも迫りつつ、マネジメントに絶対活きる「歴史の教訓」を学ぶ。
※本稿は『リーダーは日本史に学べ』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。
日本史上最大級の火災
江戸の町の大半が焦土と化し、死者10万人以上(死者数は諸説あり)ともいわれる「明暦の大火」は、関東大震災や東京大空襲を除けば、日本史上最大級の火災といえます。
同じ振り袖を着た娘が3人も立て続けに病死し、その厄払いのために振り袖を焼こうとしたら、火のついた振り袖が舞い上がって寺に燃え移ったことから「振り袖火事」とも呼ばれますが、これは世界的にも大きな火事で、ローマ大火・ロンドン大火とともに「世界三大大火」に数えられます。
江戸城の天守も焼け落ちたこの大火災において、保科正之は江戸幕府の中枢を担う立場として対処しました。そのとき、被害の拡大を防ぐとともに、庶民に対する配慮を感じさせる逸話がいくつか残っています。
一石二鳥の機転の効いた妙案
とくに有名なのは、大火により幕府の米蔵が延焼しそうになったときのこと。庶民が消火に協力すれば、米蔵にある米をもち出してもよいという機転の利いた施策です。大火で食料も財産も失った庶民には、とてもありがたい話ですし、火事の延焼も抑えることができるという、まさに一石二鳥の妙案でした。
また、大火の後には、江戸の町屋の再建のために16万両(1両10万円とすると160億円)もの莫大な投資を決めています。
再建にそんな大金を投資すると、幕府が傾いてしまうという声もありましたが、保科正之は「幕府の蓄えというのは、こういうときに下の者に与えて安心させるためにあるのだ」と答えています。現代の災害対策や福祉政策と同じような考えをもっていたのです。
支配層の都合より
全体最適を優先
一方で保科は、焼失した江戸城の天守再建には反対しました。だいぶ前に戦国時代が終わりを告げ、籠城のための天守はすでに不要になっていましたし、天守再建のために費やす資金や労働力があるならば、江戸全体の再建に使ったほうがよいという考えからでした。
結局、江戸の庶民が食料や住居で困ることがないように配慮しつつ、支配層の象徴である天守の再建は踏みとどまりました。現在も皇居外苑を訪れると、天守が建っていた石垣だけを見ることができます。
あのとき、もし支配層である幕府の都合を優先して天守を再建し、庶民の負担を増やしていたならば、江戸幕府は265年もの長きにわたって続いていなかったかもしれません。
※本稿は『リーダーは日本史に学べ』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。