
1938年に岡山県の集落で発生した大量殺人事件、通称「津山三十人殺し」。1時間半の間に約30人もの村人を次々に殺害したという凄惨(せいさん)な事件だが、その動機はなんだったのか。犯人・都井睦雄の遺書にそのヒントが隠されていた。※本稿は、石川 清『津山三十人殺し 最終報告書』(二見書房)の一部を抜粋・編集したものです。
犯人が遺書に記した
「動機」とは
睦雄は、自殺の直前に書き残した3通目の遺書のなかで、事件を起こした動機についてこう述べている。
今日決行を思いついたのは、僕と以前関係のあった寺井ゆり子が貝尾(編集部注/事件が起きた集落)に来たから、又西川良子も来たからである、しかし寺井ゆり子は逃した…。
こう書き記した一方で、睦雄は数カ月前から犯行の準備をしていた形跡も残しており、ふたりの女性の帰省が犯行の実行を早めた要因とも考えられる。
睦雄は幼いころから頭のいい子どもだった。学校の成績も常に優秀で、地元の尋常小学校始まって以来の秀才ともてはやされていた。色黒で筋肉質の男性が多い山村にあって、色白で華奢な睦雄は異色の存在だった。家も裕福で毛並みもいいことから、女性にはけっこうもてたという。
岡山の山中には、古くから夜這いの風習が残っていた。女性の寝所には鍵をかけておかず、夜になると秘かに男性が忍んで逢い引きするというものである。時には昼間でも人目につかないところで逢い引きしたりもした。独身者だけでなく、既婚男女も夜這いの風習を大いに楽しんだらしい。