嵩に対する想いを自覚するのぶのシーン
独特の感性とその表現に注目
のぶ(今田美桜)は八木(妻夫木聡)に嵩が何度となく戦地で生き延びてきたことを聞く。マラリアにもかかったそうだ。
「悪運…と、もうひとつ。戦地に行く前に言ってたよ。自分はどうしても生きて帰りたい。なんのために生まれてきたのかその意味すらまだわからないからって」
嵩が大変ななか生き延びてきたことを知ったのぶは、嵩が「なくてはならん人やがです」と自覚する。
「失いそうになってはじめて気づくこともある。その大切さに」と八木は言う。
家に戻って嵩が描いた「月刊くじら」8月号の表紙を眺め「嵩」とつぶやくのぶ。その背後で電球がゆらゆらと揺れている。のぶの心のように。シーソーのギッタンバッコンと同じ効果である。
嵩の写真とかではなく、嵩が描いた自分の絵を見て、嵩の心を感じながら、嵩に対する自分の想いも自覚していく。そういう表現はあまりないし、なかなか興味深い。絵を描くことを生業にした者を題材にしているからこその表現だろう。
そして、自分の絵を見て、彼の愛の眼差しを独り占めしているようなナルシシズムを覚えている感覚にも見える描写も独特である。愛されることを喜びとする人の感性だなと思う。作家自身の写し絵なのか、大衆はそういうものを好むという認識か、それはわからない。
のぶが八木と話した翌日だろうか、「月刊くじら」の編集部に足音が聞こえる。
嵩だった。地震のあと家で寝ていたというのだ。
地震が来ていったん目覚めたものの、徹夜続きで疲れていたためまた寝てしまった。体が跳ねるほどひどく揺れたというのに眠気が勝ってしまう。そんなことがあるだろうかと思うが、これは嵩のモデルであるやなせたかしの実話だった。評伝「やなせたかしの生涯アンパンマンとぼく」(梯久美子著)などに書いてある。
真実は小説より奇なり。実話のほうが予想外でおもしろい。そんな馬鹿なと思ったとしても、実話ですと言われたらぐうの音も出ないものだ。
地震が来ても寝てしまう。でもこれは経験がある視聴者もいるのではないだろうか。筆者も地震で目が覚めても、深いノンレム睡眠中だったのか、体が起きず、このまま眠ったまま大地震になっていたらどうなるかなあと思いながらそのまま意識が遠のいてしまったことがある。
