この感じ、同じだ…
不当解雇されたときと
不謹慎な予想かもしれないけれど、僕は旦那さんへ電話したとき、旦那さんから「もしよければ直接会って、詳しく話を聞かせてもらえませんか」と提案されると思っていた。
旦那さんと億ション姉さんは別居中だった。不倫が原因と聞いていた。自分が病気(末期癌)に苦しんでいるのに、夫が闘病期間中に何十万円も他の女性に貢いでいたことが発覚。鍵を取り上げ、家から旦那さんを追い出したと言っていた。
実際のところ、部外者である僕に真実は分からない。片方の証言しか知らない。事実関係を証明する証拠もない。けれど事情はどうあれ、別居中だった自分の妻が亡くなった。最愛の人が、生前どのような生活を送っていたのか、知っている人が目の前にいる。たくさん聞きたいことがあるのではないかと、僕は勝手に予想していた。
だけど旦那さんから、積極的に質問されることはほとんどなかった。突然現れた「ウーバーで出会った友人」を名乗る男に、警戒する気持ちはもちろんあったと思うけど…。もしかしたら僕という存在は、旦那さんにとって迷惑でしかなかったのかもしれない。
過去に僕は会社を不当解雇された経験があるのだが、このとき同じような感情を抱いたことがある。都合の悪い事実を隠したり、排除したり、見て見ぬふりをする傾向が、人にはあるのかもしれない。もしかしたらその言動は、社会人としては正しいのかもしれない。だけど人間として大切な「何か」を失っているような気もする。
これは僕自身も例外ではない。自分の弱さと正面から向き合うのが恐くて、逃げ続けた結果、大切な友人の死を後になってから知ったのだから…。
億ション姉さんとの思い出を
旦那にメール…3回も泣いた
旦那さんとの電話が切れた後、僕は配達用の四角いバッグを背負い、いつものようにウーバーの仕事に出かけた。飲食店で商品を受け取り、お客様のところへ配送し、次の依頼が来るのを待つ。すべていつも通りだ。いつも通りのはずなのに、明らかに何かが違う。
道行く人の姿をぼんやりと眺めながら、あんなに自分のことを気にかけてくれた人が、このまま誰にも知られないまま世界から消えていく…。それは悔しいし、悲しいと思った。