迷惑であることは分かっていた。キモイと笑う人もいるだろう。だけど億ション姉さんとの出会いから、お別れまでの思い出のすべてを、まずは旦那さんに伝えたかった。既定の文字数におさまらないため、ショートメールは何通にも及んだ。文章を書いている途中、感情がゴチャゴチャになって3回くらい泣いた。

 彼女の生きた軌跡について、旦那さんは知りたかったのだろうか。それとも知りたくなかったのだろうか。数時間後、旦那さんから「ご丁寧にありがとうございました。また、生前は妻の力になっていただき、ありがとうございました」とメッセージが届いた。短い文章の最後には、納骨堂の場所が記されていた。

 翌日、億ション姉さんのお気に入りだったメロンパンを持って、僕は納骨堂の前で手を合わせた。

 あの日以来、旦那さんから連絡が来たこともなければ、こちらから連絡したこともない。

 これが僕が経験した、億ション姉さんが亡くなった「その後」のやり取りだ。

残してあげたかった
「生きた証」

 2023年5月、僕はライターとしてデビューした。僕は23歳ときに美容の商社から、29歳のとき運送会社から、会社の違法労働(サービス残業など)を指摘した結果、不当な解雇を宣告されたことがある。この経験について情報発信したかった。そして、億ション姉さんについても、どんな形でもいいから、億ション姉さんの「生きた証」を残してあげたかった。

 当時の僕は、編集者さんの考えてくれた「モンスター社員」という自虐的な肩書で活動した。しかし、これが賛否両論を生んだ。ネットには「こいつは当り屋だ」「わざと解雇されたに違いない」といった声が寄せられた。仕事用のメールアドレスに匿名で「ご家族の身は今大丈夫かな?」と書かれた嫌がらせのメールが送られてきたこともある。

 苦しかった経験を笑顔で語ることに、人としての「強さ」があると僕は考えているのだけど…今振り返ると、自分の弱さをさらけ出すことへの恐怖から、少し強がり過ぎてしまったかもしれない(過激な表現に対しては、反省しています。ごめんなさい)。