全試合がNHKで中継され、その結果が都度ニュースとなる甲子園大会は、他の部活動と注目度が桁違いである。ファンも多く、その年ごとにスター選手が生まれ、見る人は大会ごとのストーリーに思いを馳せる。昨年であれば、強豪校を倒して93年ぶりのベスト8進出を決めた出雲大社高校(島根)が注目の的となった。

 応援スタンドにいる難病の生徒や家族を災害などで亡くした選手など、甲子園にまつわる「美談」を発掘しなければならない作業が記者と取材対象者双方を疲弊させているという指摘もある。

 裏を返せば、世間はとかく「美談」を賞賛しがちだし、スポーツにも泣けるストーリーを求める。

甲子園ならではの「根性論」

 甲子園に出場する多くの野球部は選手の丸刈りが当たり前であるし、開会式の行進にも規律が求められる。女子学生による国歌斉唱は感動的である。そこには異を唱えづらい甲子園ならではのルールが存在していて、まるで一つの伝統的儀式のようである。

 1回でも負ければそこで彼らの夏が終わる、という刹那的な感傷も相まって、とかく人を夢中にさせる。

 しかし、時代とともにその熱狂的な感傷と泣ける美談の連発に疑問を持つ人も増えてきた。高校野球だから、甲子園だからと覆い隠されてきたさまざまな問題点が、近年指摘されている。

 冒頭で挙げた猛暑の中の試合もそうだし、10代の投手に連日連投させることが結果的に選手生命を短くさせるのではないかという指摘もあった。

 一昔前は練習中に水を飲まなかったり、試合に負けた連帯責任としてグラウンドを何周もさせるような指導がまかり通っていた。今はさすがにそのような指導は聞かなくなったが、今もなお、強烈な上下関係や、影響力の強い監督やコーチの元で保護者も意見ができない独裁的な指導が一部で残っているように思われる。

 その背景には「苦しい状況を乗り越えなければ成長できない」「誰もが憧れる甲子園の舞台なのだからそれなりの苦難が伴うのは当然」といった精神論・根性論がある。