日本では、「何のために大学があるのか」がすごく曖昧になってる。大学は、4年間で専門性を身に付けたり、社会に出るための基盤を作る場所のはずなんです。
「Fラン大学」の再編が必要
その意味では、「Fラン大学」※に関しては、そろそろ本格的に再編が必要だと思います。勉強が嫌いな人が結果的にFラン大学に行ってるわけで、大学に入ってから急に覚醒して勉強しだすなんてことはあり得ない。
国が教育にかけられるリソースにも限度がある。だったら、高専とか短大とか、より専門性に特化した職業教育の場を充実させて、手に職をつけて年収1000万円を目指せるような道を整備した方が、よっぽど建設的だと思うんです。
実際、海外ではスキルワーカーやテクニカルワーカーの価値がどんどん上がっています。特にインフラ系の技術者や電気技師、水道管理や建設の専門職。こういった仕事は今、アメリカでも高給で年収1000万円を超えることも珍しくない。
日本人って真面目だし、手先が器用だし、そういう職業にすごく向いてると思うんですよね。だったら、教育リソースもそこに振り向けるべき。スキルを磨いて真面目に働けば稼げることが、本人にとっても社会にとっても幸せな選択だと思う。
にもかかわらず今の日本は、「大学くらい行かなきゃ」みたいな圧が強い。その結果、合わない仕事に就いて年収300万円で苦しんでいる人がいる。
「アクアカラー」と名付けたい
日本人全員がホワイトカラーになる必要なんてない。むしろ、頭も体も使えるホワイトカラーとブルーカラーの中間のような存在が最も重宝される。僕、この層に付けるネーミングをずっと考えていて、「アクアカラー」って名付けたんですけど(笑)。
分かりやすく引っ越しに例えると、物を運ぶだけなら完全なブルーカラーだけど、何時までに誰にどう運ばせるとかコントロールする人、そのプロジェクト全体をマネジメントする人は頭脳が必要ですよね。そういった頭脳労働も肉体労働もできるし、技術もある人材が結局一番必要とされるんじゃないかな。
学歴の話に戻ると、大卒が全くの無駄であるとは思わない。現状の社会において、僕が親だったら子どもには大学に行かせたいと思います。選択肢を広げる、いろいろな友人と出会うという意味で。
ミクロ視点だと絶対行かせるべきだけど、社会全体のマクロ視点だと、大学ありきになってるのは良くない。今の日本は、学歴が本来の価値を持ってない。逆に言えば、学歴の価値が低すぎると思う。
もっと学歴の価値を上げて手に入れることを難しくすれば、手に入れた人は社会に貢献する責任を感じるんじゃないかな。だから大学って、もっとエクスクルーシブな場所であっていいと思うんです。
