ぼくが思うに、「学び続ける」ときに最大の壁になるのは、「恥ずかしさ」、もっといえばそれを突き詰めた「怖さ」です。こんな年齢でこんなことしていていいんだろうか、これをやった果てに何があるんだろうか、自分の能力の限界を知るだけなんじゃないだろうか、子どもまでいるのにこんなことして世間に何か言われないだろうか、といったようなことですね。また、変わりたいと言っている割には、いざ変わっちゃったらどうしよう、という気持ちがある人もいるでしょう。
これまでの人生が恥ずかしいことの連続だったことで「恥ずかしさ」がもうなく、「怖くても、動こう」をコンセプトに仕事をしているぼくが、ちょっとでも皆さんの壁をなくすために、考えてみました。
まず、たとえば大学で「学び直し」を具体的に進めたとて、先生や学生は、年齢などぜんぜん気にしないということ。ぼくは40代なのに、再入学した早稲田で就活生や塾講師のバイトに間違われたことが何度もあります。全員参加の必修授業の担当だった、年齢的にはぼくと6歳しか変わらないはずの米村健司先生には、当てられた時に大教室だったからか「スーツ着てるけど就活か?」と聞かれ、再履修の中国語で隣の席だった1学年下のSくんには「塾講のバイト?」と聞かれました。ちゃんとぼくの顔を見れば明らかに40代のはずですが、2人ともよく見ていない、というか大学という空間で相手の年齢なんて気にしていないのです。
ちなみにぼくは中国語の再履修を6年生まで繰り返し、後輩たちに秘かに付けられたあだ名が「伊藤再履」でした。朝ドラ女優で紅白の司会も経験された女優・伊藤沙莉さんが当時からそれだけ人気だったということですね。
若者の中に溶け込むより
距離感をマスターする
そして、溶け込めるかどうかを悩むより上手に距離を取ることのほうが大切です。特に自分語りが高じた武勇伝は絶対にいりません。最初のころは、同級生たちに「聞かれたことに答える」感じの控えめな姿勢が肝要です。カウンターの寿司職人、高級料亭の仲居、西洋料理店のギャルソンのような態度を参考にしてください。ホスピタリティはあるがしゃべり過ぎず、暗さや不機嫌はご法度。とはいえ、人にはタイプがあるので無理しないでください。ぼくはもとが違いすぎるからこそ、寡黙なバーテンダー(概念)を目指しましたが、陽気な鉄板焼きの料理人みたいになっていました。