ニュースな本写真はイメージです Photo:PIXTA

43歳で大学に入り直し、若者にまじって授業を受けてみると、想像していた“学びの場”と現実には明らかな違いがあった。グループワークでは教室に謎の沈黙が流れ、話はかみ合わず、時間だけが過ぎていく。果たしてこれが今の大学教育の“普通”なのか?現場に立った“おっさん学生”が見た、ちょっと驚きのリアル。※本稿は、伊藤賀一『もっと学びたい!と大人になって思ったら』(筑摩書房)の一部を抜粋・編集したものです。

グループワークなんて
デキる学生の独壇場

 大学に再入学してわかったこと。これは即答できます。第1に、とくに1・2年時の一般教養課程や教職課程で、何人かを適当に組ませて行われている対話型主体的学習の空虚さです。近ごろは、中等教育段階でもやたらに流行っていますが、ぼくは大学での経験から各所で「前提知識のないグループワークなど人生の無駄遣い」と公言しています。

 そもそも一方通行型の講義なら一分もあれば論理立てて教えられる結論を、だらだらと一時間話し合って、妙なところに着地させるくらいなら、遊んでいたほうがマシです。また、グループ内に中高一貫校などで場慣れした「デキる」学生がいることもあり、グループの他学生からはありがたがられるかもしれませんが、その人がドヤ顔で語る意見を聞いて、それを丸パクリでコメントペーパーに書いて終わり、というのはいかがなものかと思います。グループワークが個人の意見拝聴会に終始してしまってはあまりに意味がないでしょう。