「いらっしゃいませ」「何かお役に立てることはございますか?」「ありがとうございました」「よければまたどうぞ」の精神で月日が過ぎれば、もはや「溶け込む」のではなく「溶けてる」状態。そうなったらしめたものです。「スタサプの先生やってたらしょっちゅう声をかけられるでしょう?」とよく言われますが、ぼくなんて大学の風景の1つでした。

 そもそも、独りでも存在できる自由な空間である大学では、自分から何かアウトプットをしてはじめて皆の意識にのぼります。そうたとえば授業中に当てられた時のキレ味のある回答……、と言いたいところなのですが、ぼくは2年次の中国語の授業で、あまりにもテキストの暗唱ができず、同い年の中国人教員に教室の隅で立たされたことがあります。さすがに44歳で立たされると目立ちますから、そこでクラス全員がぼくを認知したのです。

 また、これもぼく自身の経験で、仕事関係の人やプライベートの友人・知人に「今大学に通ってて」という話をすると、「それはいいことだね」「うらやましい!」という反応ばかりでした。「家庭に迷惑をかけて!」「仕事はどうするの?」と言われることはありません。学び続ける人や学び直そうとする人のことをバカにする人なんて、ほぼいないのです

 まとめると、大学において世代違いの人間が「壁」だと思っているものは実際は「扉」です。押せば開く。とはいえ、力を込めて押すのはおっくうだし、それでも抵抗があるなら、こんな考えはどうでしょう?

 大学で「学び直し」をすると決め、合格して入学した瞬間、あなたは「恥ずかしさ」を克服して「壁」の上にすでに乗っています。あとは、飛び越えるのではなく、飛び降りるだけ。「怖さ」を克服して落ちるだけなので特殊な能力は必要ありません。

 以上、必要なのは押す力や跳躍力じゃなく、勇気のみ。

 怖くても、動こう