「グローバル化」という言葉をよく聞く。筆者も使っている。だが、立ち止まって考えてみると、「国際化」とどう違うのだろうか?
国際化という言葉は50年以上前からあったが、いま国際化というと、なぜか古臭くなったように聞える。国際化とグローバル化を同じ意味で使うことには抵抗感があるのだ。
かつての「国際化」には、日本のシステムをそのまま海外に押し付ける響きがあった。主体はあくまでも日本で、海外はそれに合わせればよい。実際に、現地で日本語を話すスタッフを採用して、彼らを重用しながら経営する体制が多かったように思う。給与にしても昇進にしても日本の制度に支障の出ない範囲で、ケース・バイ・ケースで対応してきた。
日本企業が圧倒的な競争力を持っていた時代には、これでもよかった。だがいまは事情が違う。アジア諸国の台頭で日本企業の競争力が下がり、日本の総人口の減少で国内経済の伸びが見込めなくなった。こうした局面で、従来の「国際化」を、言葉だけ「グローバル化」に置き換えることで満足してはいないだろうか?
世に「グローバル企業」と呼ばれる組織がある。スイスのビジネス・スクールIMDの学長Dominique Turpinが書いた著作によると、スイス企業「ネスレ」がこれに該当するという。確かにグローバルな規模で商品設計を行い、グローバルに生産を行い、グローバルな販売体制を敷いている。役員の国籍もグローバルだ。役員14名のうちスイス人はたったの3名。役員会は英語で行われるという。
こうした企業は、フィンランドの「ノキア」、スウェーデンの「テトラパック」、オランダの「ユニリーバ」、スイスの「ABB」とたくさんある。これらの企業に共通している特徴は、自国の人口が少なく、自国経済が小さいことだ。自国経済を当てにできないからグローバルに展開した、いや、そうせざるを得なかったのだ。
日本はその逆だ。自国の経済規模は世界第二位(最近まで)、人口も1億2000万人を超える大国で、自国経済を十分に当てにできる。その上どこでも日本語が通じ、社会の同一性も非常に高い国だ。さらに島国であるために、他民族の侵略を受けずに孤立した歴史を国内で形成してきた。日本はグローバル化を図るのに「最も向いていない国家」なのである。