花森によれば、「札幌のラーメンは、そう歴史の古いものではない。およそは戦後引揚げてきた人たちが、生きるために、はじめた、素人の仕事である。ほとんどが、屋台であった。〔中略〕いってみれば、おぼつかない素人の庖丁の筈でありながら、しかも、たべて、これくらいうまいラーメンは、よそにはない」という。
こうして花森は、引揚者の屋台から始まったとする札幌のラーメンのおいしさを絶賛した。
なお、花森の取材時、大宮はまだメニューに入れていないみそラーメンを花森に出し、花森は初めて食べるみそ味のラーメンに驚いたという。花森の紹介をきっかけに、「さっぽろラーメン」が週刊誌などで取り上げられ、全国で知られるようになった。
1964年秋には、高島屋が東京店と大阪店で北海道物産展を開催し、その片隅に「本場さっぽろラーメン実演販売コーナー」を設けた。北海道観光協会の依頼を受けて出展した大熊勝信の「熊さん」は、みそラーメンに絞って実演販売を行い、大きな反響を得た。これにより、東京や大阪で「さっぽろラーメンというのはみそ味」という印象が広まった。
インスタント麺のロングセラー
「サッポロ一番みそラーメン」誕生
1965年から東京では「札幌ラーメン」の店が続々と開店した。1967年から東京で札幌ラーメン店をチェーン展開していた「どさん子」は、約5年間で全国に500店以上を出すまでに成長し、71年に札幌へ逆上陸した。

インスタント麺のロングセラー「サッポロ一番」を発売したのも、北海道の会社ではなく、群馬県前橋市のサンヨー食品である。
サンヨー食品は、1966年に袋麺「サッポロ一番しょうゆ味」を発売したが、「サッポロ一番」がよく売れるようになったのは、69年に「サッポロ一番みそラーメン」を発売してからであった。「サッポロ一番」のテレビCMが流されると、札幌ラーメンが日本全国でさらによく知られた。
こうして札幌のラーメンは、ジンギスカン料理と同じく1950~60年代に、北海道を代表する郷土料理として全国的に知られるようになった。当時の北海道は「内国植民地」としての歴史の影響を残しており、「内地」と呼んだ本州に対して文化・経済面で従属的な地位にあった。
そのため、札幌ラーメンが地方名物や郷土料理となるためには、東京から訪れたジャーナリスト、東京・大坂で開催された北海道物産展、北関東の食品会社、さらに東京発の週刊誌やテレビCMが重要な役割を果たした。