先に述べたように当初、北朝鮮当局は私たちが「遭難救助」によって北朝鮮に入り、自らの意思で定住したように入境経緯を捏造しようとしたが、そのためには本人の虚偽の「証言」が必要だった。
また、一転して拉致を認めることにしたあとも、当初は拉致被害者を日本には帰らせずに、平壌で家族に会わせて終わらせようとしていたが、それも拉致被害者自身からの「要求」としなければならなかった。
もし、日本政府との面会の場で、祖国への帰国の意思を訴える拉致被害者がいれば、北朝鮮は日本に帰すしかなくなり、そうなれば、再び北朝鮮に戻ってくる保証はない。これでは拉致被害者たちの知るすべてが日本政府側に伝わることになってしまう。
そのために常に日本に帰りたいという強い思いをもっていると判断される拉致被害者、なかでも家族がおらず、発言を強要するための人質がいない拉致被害者は、日本側と会わせないために、生存者リストに入れなかったと考える。
逆にいえば、私たち2人を含む「生存」とされた5人の拉致被害者は、北朝鮮当局の目には、強い帰国願望が表立ってみえず、子どもたちを含む家族を人質にさえ取れば、筋書きどおりに動かせると判断したのではないか。
もちろん、5人を出すことにリスクを感じないわけではなかったはずだが、「生存者ゼロ」では日本との交渉が進まないという事情から、やむなく決断した部分もあるのだろう。
「我々が知るところではない」
未入境扱いにされた事情
では、「未入境」あるいは被害を「承知していない」とされた久米裕さんと曽我ミヨシさんについてはどうみたらいいのだろうか。
「死亡」ではなく「未入境」としたということは、その人の拉致自体を認めたくない、もしくは、拉致を認めなくても日朝交渉に大きな障害にはならないと判断したと思われる。
能登半島の宇出津で起きた久米さん拉致事件に関しては、当初から石川県警やマスコミが、「拉致」ではなく、「単に朝鮮半島に向けて不法に出国をした日本人がいた」という「小さな事件」として扱っていたことも影響していると思われるが、より大きな理由は久米さんに身寄りがいないため、拉致していないと発表しても、大きな反発がないと判断したからと思われる。